鹿島伝説の助っ人DFジョルジーニョ、勝利のスピリットを植え付けたサッカー哲学とサポーターへの不変の愛

ジョルジーニョは元日本代表MF小笠原満男(左)と固い絆で結ばれていた【写真:藤原清美】
ジョルジーニョは元日本代表MF小笠原満男(左)と固い絆で結ばれていた【写真:藤原清美】

2012年には古巣・鹿島に監督として戻り、Jリーグカップ優勝を達成

 2010年の南アフリカW杯を終え、ジョルジーニョはブラジルのフィゲイレンセの監督に就任した。彼の監督としての評判の1つに「弱小チームを上位に引き上げる」というのがあるが、それはここから始まっている。ブラジル全国選手権1部に昇格したばかりのチームを引き受け、20チーム中7位に導いたのだ。そのサプライズにより、スタジアムは常に満員になり、ジョルジーニョ自身、優秀監督賞銀賞を受賞した。

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「チーム作りは、どんな選手がチームにいるかによる。例えばフィゲイレンセでは組織プレーを重視した。能力の高い選手たちがいたとはいえ、ビッグネームと契約できるクラブとは、比較にならなかったからね。リアクションサッカーを徹底しながら、パスで相手を翻弄し、きちんと攻撃を組み立てる。そういう練習を積み、地に足をつけて困難に立ち向かった」

 そのジョルジーニョが監督として鹿島に戻ったのは、2012年のことだった。

「それこそが僕の望んでいたことだった。だから、前任のオズワルド・オリヴェイラ監督に当時の状況を聞いたり、若手を観察したり、経験豊富な選手たちのフィジカルの準備に注意を払って臨んだんだ」

 しかし、Jリーグではまさかの苦戦を強いられた。開幕5節で1分4敗。その後も安定したレベルを維持できず、11位に終わる。

 一方で結果も出した。スルガ銀行チャンピオンシップ優勝、さらにJリーグカップでは、選手と監督、2つの立場で優勝するという、大会史上初の快挙を成し遂げた。

「選手としての(Jリーグカップ)優勝は97年、当時、宿敵と言われていたジュビロ磐田を決勝で破ったんだ。そして、2012年には監督として優勝できた。決勝で清水エスパルスを破った時、サポーターがスタンドで総立ちになった、あの光景は忘れられない。最大の功労者は選手とサポーターだよ。苦しい時期を乗り越えて、優勝を達成したんだからね」

 キャプテンだった元日本代表MF小笠原満男(現・鹿島アントラーズアカデミーアドバイザー)との絆が印象深い。

「小笠原は入団した頃から才能があるうえ、非常に落ち着いて、物事をきちんと観察する選手だった。若い頃に、優勝するとは何かを知ったのも良かった。僕が監督として戻った時には、いつも話し合っていたんだ。彼がピッチの中で感じることを話し、僕は『それならこうやって解決しよう』という風にね。彼は攻撃を組み立てたうえに、フィジカル的にも強かった。そして、あの闘志とクオリティを持ってチームのリーダーとなってくれた」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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