初戦の守備崩壊から手倉森Jをいかに立て直すか アテネ五輪代表主将が語る「12年前の教訓」
2004年アテネ大会で失意を味わった那須 自らのミスで初戦黒星を招く
五輪初戦での守備崩壊――。それをキャプテンとして、DF陣の一角として経験した男が、手倉森ジャパンにエールを送っている。2004年のアテネ五輪でキャプテンを務めたDF那須大亮(当時横浜FM、現浦和)は、4-5で初戦のナイジェリア戦を落とした若き日本代表に、いかにしてメンタル面を立て直すかの重要性を説いた。
アテネ五輪、同世代には田中マルクス闘莉王(当時浦和)や阿部勇樹(当時千葉、現浦和)などがいたなかで、キャプテンを務めたのは那須だった。那須は初戦のパラグアイ戦に先発出場したものの、自らのミスによって相手に先制点を献上。さらに1-2で迎えた前半37分にも中途半端な競り合いによって相手に背後のスペースを取られてしまい、3失点目の起点となってしまった。那須はハーフタイムでベンチに下がり、チームも最終的に3-4で敗れた。
責任を感じた那須は、第1戦の後に丸刈りにして続くイタリア戦にも途中出場したものの、チームは一度狂った歯車を修正することができず2-3で敗れて痛恨の連敗。第3戦のガーナ戦(1-0で勝利)を待たずに、グループリーグ敗退が決まった。
このゲームを、那須自身は「半年ぐらいずっと頭に残っていて、日本に帰ってきてからも岡田さん(武史/当時の横浜FM監督)に『あの頃のお前は悩んでいただろ』って後で言われたほどなんです」と振り返る。それだけ、ショッキングな体験だった。
そうした辛い経験をしたからこそ、「いかに気持ちをポジティブに持っていけるかだ」と、力を込めた。