ドイツ、米国両代表コーチとしてW杯2大会を戦った1人の日本人 チーム内部から見る一流のマネジメントとは
クリンスマンが初めてドイツに持ち込んだマネジメントスタイルとは
――2人の監督には、どのような参謀がいたのでしょうか。
「ドイツのアシスタントコーチは1人しかいません。そのハンス・フリックコーチは、06年のW杯が終わってクリンスマンからレーブに監督が引き継がれたときから、アシスタントを務めています。レーブは戦術面において鋭い感覚を持っていて、感情の起伏が激しい面はあるけれど、全体的には落ち着いて物事を推し進めるタイプです。
それに対してフリックは、快活でエネルギッシュなタイプ。クリンスマン監督時代のレーブとの関係性とは、監督とコーチが逆だと思うんです。前任者はチーム全体に気を配る指導者で、レーブは戦い方や相手を冷静に分析することに長けた戦術家。だからこそ、レーブ監督就任に伴い、チーム内のコミュニケーションを取る役割を任せられる人物を、アシスタントに据えたのだと思います。
フリックが選手と一緒に朝食を取りながら話をする光景はよく見掛けました。普段は監督が選手とあまり絡まない分、アシスタントコーチが緩衝材となっていたのだと思います」
――クリンスマン監督はどうです?
「クリンスマンは組織や1人ひとりのパーソナリティーも含め、チーム全体のことを考える力に秀でていました。その代わり、ヘルツォフという元オーストリア代表選手をアシストにし、彼が戦術や分析を統括してチームをつくっていた。互いに補い合うこと、自分に無いところをアシスタントコーチに求めていた点では、共通していると思います」
――なるほど。補完関係が成り立っているからこそ、チームがうまくマネジメントされるのですね。
「そうだと思います。いくらレーブが戦術家で、戦う上では重要な仕事をしているとしても、やはりフリックのような存在がいなければチームはまとまりません。ドイツ代表ではビアホフもキーパーソンでした。スポンサーも含め、周囲と良好な関係を築いて手腕を発揮していた。
例えばキャンプ地の決定やホテルの選別においては、彼がイニシアチブを取っていたはずです。そうすることで、レーブはピッチ内の出来事に集中できた。もちろん、レーブも合宿地や宿泊先についての考え方はあると思います。ですが、そこでいろんな情報を共有し、監督を助けるようにコミュニケーションを取ったり、いろんなアイデアを出したりというところで、やはりビアホフの存在も大きかったと思います」
――スタッフもチームとして機能することが、プロジェクトの遂行には欠かせないということですね。
「ドイツ代表におけるビアホフのような立場の人間は、サッカー界では珍しいと思います。私も他の代表については分からないことが多いですが、ああいった人の存在を聞いたことがありません。クリンスマンも米国代表に来たとき、ビアホフのようなポストを作りたいと強く思っていたようです」
――スタッフのポストを細分化することで、それぞれが仕事に集中できる利点がありますね。
「そうですね。専門性が高く求められる分野は専門家に任せるというマネジメントスタイルを取り入れたのは、ドイツではクリンスマンが初めてだと思います。04年に彼がドイツ代表監督に就任したときに、そうした米国式のマネジメントを取り入れた。当初はそれに対して、ドイツのメディアからかなりバッシングされたようです。
次に米国代表監督に就任したときは、そのスタイルをそのまま持ち込んでいろんな分野の専門家を呼び、さまざまなことを試みましたが、米国のカルチャーにおいてはそれほど真新しいことではなかったので、驚きをもって報道されるということはありませんでした」