板倉滉とシャルケサポーターの相思相愛の関係 1年での1部復帰を後押しした“クラブ愛”
1部昇格を果たしたシャルケは板倉の獲得オプションを行使できるか
それでも記者席で観ていて感銘を受けたのは、チームが劣勢に陥るなかでも応援の声を絶やさないシャルケサポーターの存在だった。彼らは1つ1つのプレーに一喜一憂し、時には声を荒らげて不満の意を露わにしつつ、最終的には大コールと拍手を浴びせてクラブへの献身性を示し続けた。絶体絶命の危機に瀕しても、我がチームが必ず逆転して勝利する劇的なストーリーを信じて疑わない。栄光も挫折も等しく経験してクラブと一蓮托生であることを再認識したサポーターは、その辛苦の歓喜も同じく共有しようと覚悟を決めている。
0-2で折り返した後半開始直後、この日幾多の好機を逃してきたテロッデがペナルティーエリア内で相手DFに引っ張られてPKを獲得する。そのPKをテロッデが決めて1点差に迫ると、「フェルティンス・アレーナ」に再び活気がみなぎった。最後方で行方を見守っていた板倉がゴールの瞬間に後ろを振り返り、立錐の余地なく埋まったゴール裏サポーターへ向けて咆哮している。ヨーロッパで戦い続けて約3年の歳月を経て、板倉は感情表現の大切さを認知したうえで、「シャルケの選手」として堂々と振る舞っている。
後半26分、味方からのフィードをダルコ・チュルリノフが頭で折り返し、待ち構えたテロッデの右足ボレーが火を噴く。ブンデスリーガ2部の得点王争いで独走する背番号9が、ついにその本領を発揮した。2-2のイーブンになった時点でムードは一変した。この場所には頼もしきチームと、情熱に満ちたサポーターたちが居る。顔面蒼白なザンクト・パウリの面々がピッチに立ち尽くしている。この日の物語は間違いなく終焉へと向かっている。それは後世に語り継がれる壮大な叙事詩として、である。
後半33分、FWマリウス・バルターが右サイドを疾駆して相手陣内へ殺到していった時、スタンドのサポーターが一斉に叫んだ。
「リンクス!」
「リンクス」とはドイツ語で左の意味で、そこには交代出場のMFロドリゴ・サラサールが走り込んでいた。その声に呼応するようにブルターが横パスを通すと、サラサールの強烈なシュートがゴールバーに当たってボールが斜め前方に落ちたのが見えた。
爆音のような歓声が轟き、周囲が狂喜乱舞している。6分のアディショナルタイムも、もはや長くは感じられない。記者席から足早にミックスゾーンへ向かうと、クラブスタッフや地元ボランティアの方々がモニターを注視して固唾を呑んでいる。試合終了のホイッスルが鳴ると、誰彼構わず抱き合い、なぜだか分からないが、メディアの筆者までにも握手を求めてくる。それでも人々の歓喜の輪に加わらせてもらえるのはやはり心地が良い。
ピッチに雪崩込んだサポーターたちと記念写真に収まっていた板倉がトンネルを潜ってこちらに歩を進めてくる。片手には日の丸の旗、そしてもう一方の手にはクラブスポンサーでもあるフェルティンス社製造のビール瓶が握られている。今回のミックスゾーン取材はテレビインタビュー限定だったため、板倉が語った言葉をこの項で掲載できないことをご承知いただきたい。それでも彼が示した矜持と、わずか1年にも満たない間に携えたシャルケへの愛はその言動や態度から如実に示されていたことを記しておく。
マンチェスター・シティからのレンタルの身である板倉は今後、450万ユーロ(約6億1000万円)とも噂される獲得オプションをシャルケが支払えるか否かで来季の去就が決まる。それでも、これだけは言える。今の彼の願いは唯一、ゲルゼンキルヘンにとどまって勇躍1部にカムバックするチームの最終ラインに凛とした姿で立つことである。
試合終了から1時間が経過してもスタジアム周辺の人並みが途切れない。敷地の一角から壮大な花火が打ち上げられている。ビールの飲み過ぎで正体不明になった友人を支える仲間が高揚した気分を隠しきれずに笑い合っている。
日本人である筆者に気付いたシャルケサポーターがこう叫んだ。
「ウッシー(元日本代表DF内田篤人氏のこと。2010~2017年までシャルケに在籍)は元気か~! 今のシャルケにはコウ・イタクラがいるぞ! 俺たちのイタクラだぞ!」
ドイツの片田舎で、相思相愛の関係を見た。今の板倉には淡くない、群青のユニホームが似合う。
(島崎英純/Hidezumi Shimazaki)
島崎英純
1970年生まれ。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動を開始。著書に『浦和再生』(講談社)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信しており、浦和レッズ関連の情報や動画、選手コラムなどを日々更新している。2018年3月より、ドイツに拠点を移してヨーロッパ・サッカーシーンの取材を中心に活動。