「お前のせいだ!」 厳格と繊細さを兼ねたオシム、叱責後に必ず寄り添う“人間性”に関係者は虜だった
【識者コラム】日本代表の監督も務めたオシム氏が80歳で死去
フィレンツェのスタジオ・コムナーレ(現アルテミオ・フランキ)の狭い記者会見場で、大きな身体を窮屈そうに机の下に押し込んだイビチャ・オシム氏は、束になって押し寄せるPK戦についての質問に苛立っていた。
「どうして素晴らしい120分間の戦いについてではなく、PK戦のことばかり聞くんだ」
1990年、イタリア・ワールドカップ(W杯)準々決勝で前回王者のアルゼンチンと対戦したユーゴスラビアは、前半31分に退場者を出しながら酷暑の中10人で互角以上の戦いを貫いた。
仏頂面の大男が、実はPK戦を直視できないほどナイーブなことを知るのは、それから15年後にジェフユナイテッド市原・千葉を率いてJリーグカップを制した時のことだ。
2004年来日したオシム氏にキャンプ地で名刺を渡した時も仏頂面は変わっていなかった。
「フリーライターは危険なんだよな…」
危険視するには、当然すぎる理由が山積みされていた。
「日本と違って旧ユーゴスラビアは、1つにまとまった国ではない。様々な文化が混合し、学校を出てもすぐに就職が見つかるような状況ではなかった。だから誰もが頭を使って試行錯誤をする。みんな稼ぐために、知恵を働かせて技術を磨く。弱者が強者を倒すには、貧乏人が金持ちに勝つにはどうしたらいいのかを考える。サッカーにも通じることだ」
イタリアW杯へ向かう時には、既に旧ユーゴスラビアは分裂への助走に入っていた。セルビア、クロアチア、スロベニア…、今では別々の国のそれぞれのメディアが、自国の選手の代表入りを推し、圧力をかけて来た。最近はあまり見かけなくなった表現だが、かつて旧ユーゴスラビアは「東欧のブラジル」と呼ばれた。
「どの時代にも美しいサッカーをするという点では3本の指に入っていた。でもフランス人は、こう言うよ。『芸術家は芸術家だ』とね。綺麗にプレーするチームと勝つチームは別だ」
そんなバックボーンを持つオシム氏は、リスクを厭わぬ果敢な冒険を好み、プロとしての厳格さと同時に、人の痛みを理解する繊細さを持ち合わせ、日本でも関係者たちを虜にしていった。試合後には「おまえのせいだ!」と面罵する一方で「出来ると思うから言うんだけどな」とフォローを入れる。千葉では通訳の間瀬秀一氏が、なかなか上手く訳せず2度トレーニングを中断させたことがあり、烈しく罵倒された。
「だったら他の通訳でやってくれ」
間瀬氏は、そのまま職場放棄をして帰ってしまうのだが、オシム氏は「どうだ、ケーキでも食べるか」と自分で購入してきて和解の手を差し伸べるのだ。
皮肉にも、旧ユーゴスラビアは崩壊寸前に空前の黄金期を迎えた。1990年イタリアイタリアW杯でアルゼンチンをとことん追い詰めたオシム氏は、出発前の解任を求めるシュプレヒコールが嘘のように大歓声で讃えられた。しかしその時オシムは確信していた。
「このチームのピークは2年後に訪れる」
実際成熟したユーゴスラビア代表は、92年EURO予選を首位通過し、優勝候補に挙げられていた。だがこの年、自身が育ったサラエボがユーゴスラビア軍の侵攻を受けたために代表監督を辞任。それでもオシムは、ベオグラードの空港へ足を運び、EURO開催の地スウェーデンへ旅立つ代表選手たちを見送っている。結局ユーゴスラビアは国連制裁により大会に出場できず、勝ったのは代替出場したデンマークだった。
ビッグタイトルとは無縁だった。だがビッグクラブに立ち向かうために知恵を絞り続け、その果敢さが圧倒的な共感を集めた。試合中継でCMが流れる間ボールを放さずドリブルを続けた名手は、監督に転身するとチームを主役に据え組織的な効率性を求めた。
「サッカーは人生だ。人生を途中で降りるわけにはいかないだろう」
ボールとともに生きた繊細な芸術家は、ようやくピッチから降り仏頂面から解放され、天界では穏やかな笑みを湛えているような気がする。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。