川淵三郎氏、オシム氏死去へ追悼コメント “失言騒動”を回想「代表監督を引き受けてくれなくなると心配した」

川淵三郎氏がオシム氏とのエピソードを回想【写真:Getty Images】
川淵三郎氏がオシム氏とのエピソードを回想【写真:Getty Images】

日本サッカー協会(JFA)を通じて、追悼コメント発表

 日本サッカー協会(JFA)は5月2日、80歳で亡くなった元日本代表監督のイビチャ・オシム氏の訃報を受け、川淵三郎JFA相談役の追悼コメントを発表。「代表監督を引き受けてくれなくなると心配した」と、2006年ドイツ・ワールドカップ後の“失言騒動”を回想している。

 オシム氏は、06~07年に日本代表を率い、日本に“考えて走るサッカー”を浸透させた。その後、2007年11月に急性脳梗塞で倒れ、続投が困難となり、岡田武史氏に後任を託す形となった。

 訃報を受けて、川淵氏は追悼コメントをJFAを通じて発表。ドイツW杯敗退後、当時会長を務めていた川淵氏が総括会見で、次期日本代表監督を、オシム氏に託すことを発言してしまう騒動が話題になった。

 コメントでは当時の一幕を振り返り「うっかり『オシム』と口にしてしまい、大きな非難を浴びた。その失言によって代表監督を引き受けてくれなくなるかもしれないと心配したが、オシムさんは『会長がそんなことでいちいち謝ることはない』と、とがめることもせず、引き受けてくれた」などと回想した。

■追悼コメント全文

「オシムさんとの最初の思い出は、大阪の長居陸上競技場で行われた東京オリンピック5・6位決定戦『大阪トーナメント』。相手のユーゴスラビアに長身ですらっとしていて、非常にうまいセンターフォワードの選手がいたのを印象深く覚えていて、後になってオシムさんだったということを知った。素晴らしい選手だったから印象に残っているということはあるけれど、その人が42年後に日本代表を指揮したということは、やはり縁があったのかと思う。

最も思い出深いのは、僕の”オシム失言”とオシムさんが脳梗塞で倒れた時。大きな期待を受けて出場したFIFAワールドカップドイツでグループステージ敗退となり、とにもかくにも日本のファンに謝りたいと思って記者会見に臨んだ僕は、質疑応答に入ったところでうっかり『オシム』と口にしてしまい、大きな非難を浴びた。その失言によって代表監督を引き受けてくれなくなるかもしれないと心配したが、オシムさんは『会長がそんなことでいちいち謝ることはない』ととがめることもせず、引き受けてくれた。常に僕の立場を慮ってくれる人だった。

2007年11月にオシムさんが倒れたという一報を聞いた時は本当にショックで、毎日祈るような気持ちだった。ドクターらの献身的な働きによって何とか一命をとりとめ、ようやく面会できることになり病院に伺うと、リハビリが終わろうとしているところだった。その時の僕への第一声は『こんなに(リハビリで)痛めつけられて『ありがとう』と言わなきゃいけないのは承服できない』。その時のいたずらっぽい笑顔が忘れられない。

チームに対して献身的なプレーをする選手を重用し、含蓄ある言葉でチームに大切なことを教えてくれた。ジェフユナイテッド千葉に『オシムイズム』を浸透させ、多くの日本代表を送り出す強いチームに成長させた。Jリーグ各クラブにとって『オシムイズム』をもう一度、思い起こす時なのではないだろうか。オシムさんの教えをもう一度思い出し、強い日本サッカーをつくってほしいと思う。

イビチャ・オシムという偉大なる人物にジェフユナイテッド千葉、そして日本代表を指揮してもらえたことは日本サッカーにとって大きな名誉だと思う。心から哀悼の意を表します。」

(FOOTBALL ZONE編集部)

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