秀岳館高サッカー部の暴力騒動から考察、部活のあり方とは? “旧態依然”の育成は危険…生徒のSOSに気付ける環境作りが今後の鍵

秀岳館高サッカー部の暴行疑惑で現場の課題が浮き彫りに(※写真はイメージです)【写真:河合 拓】
秀岳館高サッカー部の暴行疑惑で現場の課題が浮き彫りに(※写真はイメージです)【写真:河合 拓】

【識者コラム】秀岳館高校サッカー部で起きた一連の騒動から“部活問題”を考察

 熊本県八代市の秀岳館高校サッカー部で起きている問題に関して、筆者も頭の中で処理が追いつかないほど、新しい情報が次々と出てきている。今回の件を秀岳館高の個別の問題として捉える側面と高校のサッカー部を含めた社会の全体的な問題として捉える側面の両方がある。

 今回、サッカー部コーチの生徒に対する暴行があり、そのシーンが収められた動画を2人の生徒がSNSに投稿し、世間で大きな騒ぎになった。そこから多くのニュースで取り上げられている経緯はここでは割愛するが、一度こうした事件が明るみに出れば、次々と事実が明るみになっていくのが学校における事件の常であり、それに対する驚きはない。

 今回はコーチによる行きすぎた暴行が生徒の動画投稿に結び付いた。学校の部活という半ばクローズな環境において、今回のような警察が動くほどの事件まで行かなくても、大なり小なり、現代社会の良識とかけ離れた問題が顕在化していることは疑いない。そうした視点では、秀岳館高の問題は氷山の一角と言えるかもしれない。

 部活そのものが、こうした問題の温床というわけではないが、スポーツというより学校体育の一環として捉えられる部活は逃げ場がない。とりわけ、サッカーがその学校の看板競技になっている場合、監督を含む指導者側も結果至上主義による旧態依然とした心身のダメージを伴う“しごき”に発展しやすい危険が常にはらんでいる。

 秀岳館高で起きている問題を個別の事例として切り分けるべきところと、こうした機会に今一度、学校における部活のあり方を考え直すべきところがあるように思う。その場合に日本サッカーという枠組みで捉えるならば、JFA(日本サッカー協会)が総本山となり指導者育成とライセンスが発行されている以上、すべて学校に一任してOKという問題でないことは明らかだ。

 現在は少なくとも男子に関しては全国津々浦々までリーグ戦が整備されて、高体連のサッカー部とJリーグの下部組織を含めたクラブユースの交流も盛んになってきている。そうしたなかで、高校サッカー選手権のような大会で結果を残すことよりも、選手個人の育成、人間形成に重きを置く学校のサッカー部も目に付くようになってきた。

 大会でより良い結果を目指すことが悪いわけではない。要はそれが誰のためかということだ。選手たちが勝利や結果を求め、監督をはじめとした指導者側がサポートする関係であるのか。指導者が勝利を求める主体であるほど、選手に必要以上の負担、特に不必要な負担を強いてしまうリスクは常にある。スポーツ推薦が存在するような“強豪校”であればなおさらだろう。

 ただ、これがチームの成績より個人の育成を主眼に置くサッカー部でも、Jリーガーを1人でも多く出すといった成果主義が先行すれば、そうした問題に発展するリスクは決して小さくないだろう。指導者と選手、それが学校の教員と生徒であれば、なおさら主従関係になってしまいやすい。

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河治良幸

かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。

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