「Jリーグに濃い選手が少なくなってた」 闘莉王はなぜ熱かったのか、“闘将スタイル”を貫いた舞台裏
19年間のJリーガー生活で最も熱かった時代は浦和と名古屋
かつて、日本サッカー界に強烈なインパクトを残したDFがいる。真っ赤なユニフォームが似合うその人は、闘将との愛称で親しまれた田中マルクス闘莉王氏だ。浦和レッズのJ1リーグ制覇、AFCチャンピオンズリーグ優勝、そして名古屋グランパスでもJ1リーグ制覇を果たすなど、彼の存在がJリーグを熱くした。現役を引退して早3年、現在はブラジルからJリーグを見守る闘莉王氏に、熱かった時代のJリーグを語ってもらった。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)
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闘莉王氏は自分のことを、「あまり先を考えられるタイプではない」と苦笑いする。そんな男が、19年プレーしたJリーグの最も熱かった時代に、浦和レッズでの6年間と名古屋グランパスの7年間を挙げた。その理由を、「愛さなきゃいけないぐらい、本当にいろんなことを与えてくれた」とこぼす。
「とてつもないファン・サポーターの力があるクラブで、何回か喧嘩もしたなあと(苦笑)。だってね、練習場に行ったら、いろいろと文句を言われるわけです。それで自分は練習を止めて、そのサポーターたちと言い合いしたことも覚えていますよ。だから僕は海外でプレーするっていう話もあったけど、Jリーグに残って良かったと思っています。Jリーグって本当に素晴らしいリーグだなと」
選手だけでなく、ファン・サポーターも熱かった時代。もちろん、そこには「優勝したい」という強い思いがあったからだ。実際に闘莉王氏は在籍した浦和と名古屋でJ1優勝を果たしている。その後、あまり勝てなくなってしまった時代も知っている。
「改めていろいろと振り返ると、スムーズにいっていた時期もあるし、チームが弱くなっていって、サポーターからいろんな要求をされたなかで、それに応えきれなかったこともあった。強いチームを作るには何年も掛かるから優勝するのも大変だけど、チームが弱くなるのは一瞬。あれだけ時間を掛けて強いチームになったのに……。レッズでもグランパスでも、すごく良い時もそうじゃない時も経験して、だから素直だった。自分の気持ちを裏切るような行動はしなかったというのが、すごく思い出深いなあと思う」