秀岳館高サッカー部の暴行疑惑で露呈 日本に根付く“非効率な育成”と抜本的改革の必要性

世界に肩を並べるためには、早急に抜本改革を主導できる人財の発掘が必要

 あるいはミスをするたびに怒鳴られるので、「ミスをしないためにボールを受けられないポジションへ隠れる」という心理状態に追い込まれるケースも多々ある。こんな毎日の活動が楽しいはずがない。

 それでもレギュラーを獲得して活躍できていればいいが、大所帯で公式戦出場もままならない選手たちがほかに捌け口を求めるのは必然だ。選手はどこかで日常の憂さを晴らそうとするし、時には寮からの脱出を企てる者も出てくる。すると見つけた指導者や上級生たちが憤り、連帯責任などの悪しき伝統を引っ張り出して支配する術がエスカレートしていく。まだまだとりわけ日本の団体競技の現場では、こうしたイタチごっこが繰り返されており、ハラスメントはあたかも定期報告のように発覚している。

 スポーツは、なぜ存在するのか。そろそろ日本社会は、改めて考えるべきである。もちろん競技では勝利を追求していくわけだが、それだけに成果は国威や学校の名声、クラブの営利などに置き換えられやすい。

 この構図が過度に強まると、まず最大の結果責任を負うのが現場の指導者だ。そして指導者が勝利ばかりに邁進すると、犠牲を被るのは選手たちで彼らの未来の伸びしろが損なわれる。欧州で育成年代の全国大会を設けず、英国ではチームに焦点を当てた報道さえ禁じているのは、まず若年層には十分に満喫させることを優先し、生涯の愉しみへとつなげていくスポーツ本来の役割を文化として継承しているからだ。

 また現代サッカーで求められる強度、集中力、さらには創造性を考えた時に、日本に根づいてしまっている上意下達や長時間練習が、いかに非効率で的外れなのかは歴然としている。JFA(日本サッカー協会)が世界に肩を並べる文化を育もうとするなら、早急に抜本改革を主導できる人財を発掘するべきである。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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