「鹿島でプレーしたいか?」 “初期”黄金期を支えたブラジル人FW、日本行きを決断させた“神様”からのサプライズ
現在の鹿島へエール「すぐにでもまた栄光を掴めるはずだ」
マジーニョがサポーターのいるスタンドに、Jリーグの優勝プレートを持って行ったことは、鹿島の伝説になっている。
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「ただ、サポーターに喜んでもらいたくてね。初優勝の1996年と1998年もそう。1998年はカシマスタジアムだったから、サポーターに引っ張り上げてもらって、スタンドでみんなとプレートに触ったんだ」
マジーニョの話には、そんな風にサポーターとの思い出が多い。
「なぜなら、サポーターは大事な存在だから。ゴールを決めた時に、彼らと一緒に喜べる瞬間の素晴らしさと言ったら! 僕らは彼らに喜びを与えようと戦っていたけど、彼らこそが、僕らに喜びを与えてくれていたんだ。それに、サポーターが歌っている様子は、すごく良いものだよ。選手1人1人に歌を作ってくれて、僕の歌もあった。マジーニョ、マジーニョ、ラーララーララ~♪」
1997年は、マジーニョにとって鹿島在籍中で最も多くのゴールを決めた年となった。
「あの年はまったく怪我をしなかったのが大きかった。Jリーグで22ゴール、天皇杯で7ゴール、ナビスコカップで6ゴール。アジアクラブ選手権でも4ゴールを決めたんだ。心に刻まれるゴールも多い。Jリーグカップ決勝ジュビロ磐田との第2戦で決めた2ゴール。天皇杯決勝フリューゲルス戦で決めた鹿島の2点目。やっぱりタイトルに結びついたゴールは忘れられないね。当時の鹿島の強さの秘密は、全員が重要な選手だったことだ。全員のレベルが高く、みんなが強いメンタリティーを持っていた」
鹿島のことなら、ずっと話していられるという彼に、メッセージで締めくくってもらった。
「多くの勝利、多くのタイトル。強い絆で結ばれたチームメイトたち。鹿島にいたすべての年月が幸せだった。ここ数年、苦しい時期もあったと思うけど、鹿島は大丈夫だ。あのサポーターが、いつでも支えてくれているんだから。それに、いい選手たちがいる。みんなですぐにでもまた栄光を掴めるはずだ。心が温まるような、いや、熱く燃えるような、ぎゅーっと強いハグをみんなに贈りたい。話しているだけで、感動してきてしまったよ。アリガトウ!」
[プロフィール]
マジーニョ/1965年12月26日生まれ、ブラジル出身。サントス―サンベント―ブラガンチーノ―バイエルン(ドイツ)―インテルナシオナル―バイエルン(ドイツ)―フラメンゴ―鹿島―川崎―ブラガンチーノ。抜群のゴール嗅覚を武器に、ブラジル代表としてもプレーしたストライカー。1997年にはリーグ3位タイの22ゴールをマークするなど、鹿島の第一次黄金期を支えた。鹿島在籍5年、川崎在籍1年でJ1リーグ通算108試合53得点。
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。