26歳で二度“引退した”元浦和Lの万能MF 単身海を渡りスペインリーグに挑戦する理由とは
「仕事して、サッカーしてという生活が…」
もう一つ、堂園をずっと悩ませていたのがポジションだった。左右両足を使えて、味方のためのプレーができる。オールラウンドな能力を持つ彼女は、フィールドの中央でのプレーをずっと希望していた。しかし、ほとんどの監督から与えられたポジションはサイドバックだった。
確かに、チームには中央でプレーしてこそという選手が少なからずいた。監督の目線で言えば、彼女のような選手がサイドバックにいれば安心できるだろう。堂園にも、そういったチーム構成や選手編成が理解できてしまった。そして、理解できているだけに苦しかった。
「その時期に、『辞めたいな』って思ったんです。仕事して、サッカーしてという生活がきつくなったのもありますし、年上の選手たちが一気に抜けてしまった頃、なんのためにサッカーをしているんだろうと考えるようになってしまったんです。両親は試合に出れば喜んでくれるし、そういう恩返しの気持ちがあったんですけど、頑張っている自分が辛くなってきてしまって……。13年のシーズンが終わった後に、親に初めて『辞めたい』って言ったんです。その時、お父さんが『楽しみがなくなっちゃうな』とボソッと言って、『今、辞めちゃダメだ』と」
そうした状況にも背中を押されて14年シーズンも浦和で戦い、リーグ優勝を果たした。ラストゲームになったのは皇后杯の決勝だったが、「最後の試合だったんですけど、チームメートに決めたことを伝えた時も全く泣くことがなかったんです。試合前も試合中も冷めている自分がいて、申し訳ない気持ちもありましたね。先に向かって一生懸命な人と一緒にやることの申し訳なさというか……。そういうプロ意識の部分は、先輩たちから学んだことです。リーグ優勝もして、やり切ったというストンと落ちる気持ちがあって、もうお腹いっぱいですという感じで辞めたんです」
高校を卒業し、生まれ育った鹿児島から遠く離れた浦和へと、取り巻く環境を大きく変えたなかで始まったサッカー選手の第一章が、ここで幕を下ろした。