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唯一無二の熱き男 ウニオン・ベルリン原口元気が白熱の“ダービーマッチ”で輝ける訳
浦和時代からダービーで強さを発揮
原口はJリーグの浦和レッズに在籍していた時代から、ダービーマッチで強みを発揮してきた。
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浦和のアカデミー組織で育った彼は同じく埼玉県をホームタウンとする大宮アルディージャとのライバル関係を熟知していて、激しい対抗意識を燃やすサポーターの思いを自らのプレーで体現してきた。
なかでも、原口と浦和サポーターとの強固な結びつきを示した「さいたまダービー」は、2011年6月11日のJリーグ第14節、NACK5スタジアム大宮での一戦ではないだろうか。
このゲームの直前にクラブとの3年の契約延長を締結した原口は、1-2のビハインド状況で後半33分に相手DFを引きずるようなドリブルから最後は倒れ込むようにして左足シュートを放って起死回生の同点ゴールを決めた。
当時20歳だった原口が浦和との契約を延長した理由は、「ゼロ円移籍で浦和を出ない」という揺るぎない意思からだった。その気概に触れた浦和サポーターは、試合で掲げた横断幕にこう記した。
「若いレッズはお前の背中を見て育つ。ありがとう、原口元気」
このゲームから約3年後の2014年5月、原口は公約どおりに浦和に移籍金を残し、ドイツ1部ブンデスリーガのヘルタと4年契約を交わした。
ヘルタ時代の原口はクラブのサポーターズソングであるロッド・スチュワートの『セイリング(Sailing)』を好んでいた。ちなみに『セイリング』は浦和のオフィシャルサポーターズソングである『We are Diamonds』の原曲でもある。ヘルタサポーターが奏でる歌の調べに心を奮い立たせ、原口はクラブエンブレムを胸に抱くことの意義と責任を常に感じていた。
ブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍を経て新たに契約を交わしたハノーファー96では原口自身、大人しい印象のあるハノーファーサポーターに若干の物足りなさを感じていた。当時の彼は下位に低迷して2部降格を余儀なくされるチームの中で、適正ポジションを見出せずに喘いでいた自身の境遇もシンクロして情熱の維持に苦しんでいたようにも思う。
しかし、2部での戦いに移り変わってからの原口はトップ下、もしくはインサイドハーフという新たなるポジションでの能力を見出され、ここからプロサッカー選手人生の第2のステージへと到達する。この頃の原口は得点後に両手を挙げてサポーターを鼓舞するような仕草をたびたび見せていて、ハノーファーサポーターもその熱意に呼応してボルテージを高めていた。
島崎英純
1970年生まれ。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動を開始。著書に『浦和再生』(講談社)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信しており、浦和レッズ関連の情報や動画、選手コラムなどを日々更新している。2018年3月より、ドイツに拠点を移してヨーロッパ・サッカーシーンの取材を中心に活動。