闘莉王が振り返るW杯最終予選の激闘、南ア大会を“物語る”一戦に感慨 「あの時代の代表を表す試合」
オシム・ジャパンから岡田ジャパンへ 予選中の予期せぬアクシデント
3月24日、日本代表はオーストラリアとのアウェー戦を制し、7大会連続となるワールドカップ(W杯)の出場権を獲得した。昨年9月からスタートしたカタールW杯アジア最終予選は、決して楽な道のりではなかった。だからこそ苦しみながら手に入れたW杯への切符に、選手たちは安堵の表情を浮かべ、歓喜に沸いた。
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思い起こせば、いつの時代もアジアを戦い抜くことは容易ではなかった。多くのタレントを擁したジーコジャパンでさえも、そして日韓W杯以来となるグループステージ突破を果たした2010年南アフリカW杯の岡田ジャパンでさえもだ。“歴代最強”と称された中澤佑二氏とセンターバックでコンビを組んだ闘莉王氏が、当時を語ってくれた。
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“闘将”の愛称でいまだ日本サッカー界に、その大きすぎる存在感を残す闘莉王氏。彼が日本代表に強烈なインパクトを残した2010年南アフリカW杯から早12年が経とうとしている。それでも、W杯への炎は消えることがなかった。
「自分はもともとW杯に対する思いというのが強かった。自分が最終予選を戦った時というのは、その前の2006年W杯の代表でジーコ監督が一度も自分にチャンスをくれなくて。当時は(浦和)レッズで優勝に絡んでいたし、Jリーグでも活躍していた。パフォーマンス的には問題なかったから、『なんで呼んでくれないのかな』っていう思いからアジア予選に入ったわけです」
2006年ドイツW杯後にイビチャ・オシム氏が日本代表監督に就任し、南アフリカW杯を目指すオシムジャパンが誕生した。日本サッカー界が大きく変わろうとしていた矢先、2007年11月にオシム氏が脳梗塞で倒れ、12月には岡田武史氏が代表では2度目の指揮を執ることが決まった。
「オシムさんから始まり、途中で岡田さんにバトンタッチしたとき、最初はオシムさんの戦い方を引き継ごうとしたけれど、なかなかうまくハマらなかった。それで結果的には岡田さんが自分の戦い方をするという感じで、途中でサッカーが切り替わったときに少し手こずったというか、時間が掛かってしまって。そういう意味でも予選はスムーズにはいかなかった。それでも予選を戦っていくうえで、一緒に戦っている仲間たちと気持ち的に距離が近づいていったというか、1つのチームになっていった気がします」
2008年の2月6日に始まったアジア3次予選を日本は4勝1分1敗の首位で通過し、9月からの最終予選にコマを進めた。しかし、最終予選では当時アジアで最強だったオーストラリアと同組になった。さらに、じわじわと力をつけてきていた中央アジアのウズベキスタンも同組に。始まる前から厳しい戦いになることは容易に想像できた。
「当時はオーストラリアが断トツ強かったし、そこにウズベキスタンも力をつけてきた時期ですごく強かったという記憶がある。ひとつも落とせない組み合わせなのに、僕らは落としちゃいけない試合を落としたりして、自分たちのミスでもあったんですけど、本当に苦しかった」
だからこそ、歓喜の瞬間もまた強烈に記憶に残っている。