「心の半分は日本に置いていく」 C大阪創成期を支えた元ブラジル代表GKが誓った異国への想い
セレッソサポーターとの再会を約束「必ず帰る」
一方、チームメイトたちが語るジルマールの思い出は、彼がチームにプロ意識を注入した、ということだ。梶野もクラブ公式サイトで、「この頃、私たちが最も影響を受けた選手はジルマール」と記している。
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「勝者のメンタリティーを植え付けたかったんだ。最初の頃、試合に負けた時、選手たちが『ツギ、ツギ』と言っていた。だから『ツギ、ツギって何?』と聞くと『“次”という意味だよ』と。僕はロッカールームで怒鳴った。『次に勝てばいいって? ツギ、ナイヨ! 今日勝つことの価値を知り、今日にすべてを注ぐんだ。そして明日には明日、勝つべきことがある!』。
ただ、プロの姿勢とは、時間を守り、練習や試合で集中し、監督の指示を聞き……という風に、日本人が本来持っているものなんだ。それを“ガイジン”の僕に言われることで“ビックリシタ”。それで気付いてくれたんだ。合宿や遠征の宿泊先では、よくみんなが寝室に集まって僕を呼び、いろいろ質問してくれたものだよ」
最後に、セレッソのサポーターへのメッセージを送ってもらった。
「サポーターが試合中、本当にすごくチームを支えてくれたことが幸せだった。練習後、みんなとふれあう温かい時間が好きだった。セレッソを退団し、ブラジルに帰る日のことだ。家族と一緒に空港に着くと、多くのサポーターが来てくれていたんだ。そして、泣いていた。だから、彼らに言ったんだよ。『僕の心の半分は日本に置いていく』って。
僕も今は1人の熱烈なセレッソサポーター。GKとしては引退したけど、僕が今でも恋しく思うのはみんなのことだ。“サビシイ”のは、みんなに会えないことだよ。だから、必ず帰る。セレッソの試合を、スタンドでみんなと一緒に応援するために。それが今の僕の願いだ。アリガトウ」
[プロフィール]
ジルマール/1959年1月13日生まれ、ブラジル出身。インテルナシオナル―サンパウロ―フラメンゴ―C大阪。長いリーチを生かした確かなセービングや高精度のパントキックはもちろん、初練習の翌日には日本語での指示を覚えるなど、瞬く間にチームに溶け込んだ。C大阪在籍3年でJ1リーグ通算80試合出場、ブラジル代表9試合出場。
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。