「僕と妻が愛して止まない国」 C大阪伝説の元ブラジル代表GKが日本に惹かれたワケ

ジルマールは家族にも再び日本を訪れてほしいと話す【写真:本人提供】
ジルマールは家族にも再び日本を訪れてほしいと話す【写真:本人提供】

57歳でサッカー界の仕事を離れ、家族との幸せな時間を過ごす

「あの時は、国中が屈辱と怒りに満ちて、誰もが狼狽した。だから、誰か統率する人間が必要だったんだ。サッカーは僕に、友情や人生に大事な多くのことを与えてくれた。それなのに、苦しむ代表チームを手助けしてほしいとブラジルサッカー連盟に要請され、できないとは言えないよ」

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 ジルマールは代理人としての仕事をすべて手放したうえで引き受けた。フル代表はもちろん、下部年代を含む全カテゴリーの構造改革をすることで、翌2015年には、U-15とU-17が南米選手権優勝、U-20はW杯準優勝と結果が表れ始めた。

 しかし、その2年後、彼は職務を去った。彼と同じく、2014年のW杯後にブラジル代表監督に就任したドゥンガが、成績不振のために解任され、スタッフが一新されることになったのだ。

「問題ないよ。もう十分だった。オワリ、オワリ(笑)。もともと僕は、仕事をするのは60歳までと決めていたんだ。その時点、僕は57歳。だから、その機会に引退も前倒しにした。いくつかのクラブからディレクターの打診も来たけど、もうサッカーについては、やるべきことはやって来た、とね」

 続けているのは、かつての代表メンバーとともに、イベントやチャリティーマッチなどでプレーすることだ。サッカーで唯一恋しくなるのは、そういう仲間たちとの時間だから、と笑う。

「それ以外は、家族との幸せな時間を過ごしている。海辺の別荘で釣りをしたり、世界各国の友人を訪ねたり。今年は日本にも行きたいな。子供たちは幼い頃に日本を去ったから、成長した今こそ、僕と妻が愛して止まない国、日本を知ってほしいんだ」

[プロフィール]
ジルマール/1959年1月13日生まれ、ブラジル出身。インテルナシオナル―サンパウロ―フラメンゴ―C大阪。長いリーチを生かした確かなセービングや高精度のパントキックはもちろん、初練習の翌日には日本語での指示を覚えるなど、瞬く間にチームに溶け込んだ。C大阪在籍3年でJ1リーグ通算80試合出場、ブラジル代表9試合出場。

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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