“ザックジャパン”誕生秘話、Jリーグ副理事長が回想 「代表監督に踏み込むか逡巡していた」
Jリーグ副理事長の原博実氏、JFA技術委員長時代の監督選定へ言及
Jリーグ副理事長の原博実氏が、日本サッカー協会(JFA)技術委員長時代をJリーグ公式YouTubeチャンネルで回想。アルベルト・ザッケローニ元代表監督を招聘した経緯について、タイミングや年齢的な観点へ言及しながら明かしている。
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イタリア人のザッケローニ氏は、イタリア1部の名門ACミラン、インテル、ユベントスなどを率いたあと、2010年から日本代表監督へ就任。翌年のアジアカップで優勝を果たしたほか、ブラジル・ワールドカップ(W杯)予選を突破し、5大会連続となる出場権を獲得したが、本大会では1分2敗と未勝利でグループリーグ敗退を喫した。
4年間にわたり日本代表を指揮したイタリア人監督の招聘について、かつてJFAの技術委員長として代表監督の選定に携わった原氏が、Jリーグ公式YouTubeチャンネル上で当時を回想。複数の候補者からザッケローニ氏に決定した背景について言及している。
「ザッケローニさんはちょうど空いていたんだよね。タイミング的には。いくつかのクラブをやっていて彼のことも知っていたし、バルセロナでたまたま見たこともあって。ちょうどフリーでいて、代表にも興味あって、人柄的にも本当に信頼できる。ミラン、インテル、ユベントスといったビッグクラブをやれるような人は人格者だという情報も仕入れていたし、実際に話してみたら間違いないって思いながら」
親日家としての側面を持っていたザッケローニ氏は、日本代表を率いることへ興味を示していたという。それでも、原氏は「代表監督に踏み込むかどうかは逡巡しているところも当然あった」と指摘。その理由については、「彼らにとって日本に行くというのは、セリエとか例えばラ・リーガとかあっちを捨てていくようなもの。格落ちのようになっちゃう。今で言えばまた別かもしれないけれど、当時はそういう感じがあった」という。
また日本代表監督の選定に当たっては「年齢にもこだわった」と原氏。2006年に代表監督へ就任したイビチャ・オシム監督(当時)が翌年、脳梗塞で倒れたケースを懸念し、「高齢の方で初めて日本に来る。しかも長くいなきゃいけない。あるいは行ったり来たりってなった時に、ストレスがダメだった。できるだけリスクは避けたかった。50代ぐらいの人とは思っていた」と明かした。
攻撃陣には本田圭佑や香川真司、中盤から最終ラインに長谷部誠、遠藤保仁、内田篤人、長友佑都、吉田麻也らを擁し一時代を築いた“ザックジャパン”は、その当時のタイミングや様々な要因が絡んで誕生していた。