浦和DFショルツ、若き日の苦悩を告白 土木作業、幼稚園仕事…インドで一大決心の過去「サッカーをもう一度やろう」
【独占インタビュー】ショルツが10代を回想、悩んだ末にサッカーで生きていく決意
浦和レッズに2021年夏に加入し、最終ラインで絶大な存在感を見せているのがデンマーク人DFアレクサンダー・ショルツだ。ワイルドな風貌と力強く持ち上がっていくドリブルは“闘将”のイメージを与えるかもしれない。しかし、そのパーソナリティーは非常に穏やかで知性にあふれるものだ。2月初旬、沖縄県でトレーニングキャンプを行っているなか、ショルツが「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。(取材・文=轡田哲朗/全4回の1回目)
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父はケント・ショルツさんという名前で、デンマークのプロリーグでプレーしていた選手だった。それだけに、息子のアレクサンダーにとってもサッカー選手というのは非常に身近な職業だったという。
「ものすごく小さな頃からいい影響を受けましたね。例えばお父さんの試合を常に観戦しに行くことも、練習場に行くことも可能だった。ロッカールーム、芝生の匂い、子供の頃の素晴らしい記憶がすべて詰まっています」
記録を見ると、1992年生まれのショルツが10歳くらいの時まで、父ケントさんは現役生活を送っている。幼少期にプロ選手としての姿を見てきたことで「特にお父さんと話していたわけではないですけどね。当たり前の流れというか、自分の中でも僕はサッカー選手になるんだろうなと。常に対峙していた相手やチームメイトよりもハードワークしていたから、サッカー選手にならないという考えすらない環境でしたね」と話すショルツだが、そのキャリアのスタートは順風満帆とは言えないものだった。
10年、ショルツが18歳の時に父も所属したヴェイレBK(デンマーク)に加入した当時のことをこう振り返っている。
「その頃は若気の至りではないけどいろいろと考えていた時で、多少混乱していた時期でもあり、人生についていろいろと考えた時期でもありました。覚えているのは、ある日、ロッカールームに座って、『ここは2部リーグだし、周りを見ても自分の中にインスピレーションもない。僕は何のためにサッカーをやっているんだろう』と。特にお金をすごく稼げていたわけでもないし、退屈していた時期でもあって。冒険心、好奇心が旺盛な性格だからでもあるんですけどね。
その頃、18歳ということもあって1人暮らしをして、もちろんサッカーのみでは稼げなかった。ただ、その時は健康的なリズムで生きていた印象もあったね。日本で言う土木作業のような仕事、幼稚園での仕事、一般的な仕事をしたことで、いい意味で違う観点からサッカーを見つめる助けになった。改めてサッカー選手という仕事が素晴らしいこと、幸せな仕事だとすごく感じられた。
だから、その仕事で貯金をしてインドに行っている間に、サッカーをもう一度やろうと決心したんです。そしてアイスランドのチームとの交渉があって、そこで契約を勝ち取ることができたんですよ。そこでプレーした時に改めてサッカーの面白さ、地元から離れてプレーしたことで新たなサッカーの一面を見つけられた。それは幸運かなと思いますね」
その後、ショルツはベルギーでのプレーを経て、母国デンマークのFCミッティランへ。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)でもプレーし、キャリアのピークとも言える時期を過ごしたなか、昨夏に浦和へと移籍した。
ステップアップへの野心を露わにするというよりも、豊かな人生を送っていくことをテーマの1つにしているようにも感じられるショルツだが、その下地には、若き日の苦悩、モラトリアム期間を過ごしながら、サッカーの世界で生きていく決意を固めた時期が人としての幅を広げた部分もあるのだろう。その回り道、曲がり道こそが、ショルツが見せる落ち着きや知性あふれる振る舞いにつながっているようだ。
※第2回に続く
[プロフィール]
アレクサンダー・ショルツ/1992年10月24日生まれ、デンマーク出身。ヴェイレBK(デンマーク)―ストヤルナン(アイスランド)―スポルティング・ロケレン(ベルギー)―スタンダール・リエージュ(ベルギー)―クラブ・ブルージュ(ベルギー)―FCミッティラン(デンマーク)―浦和。2020年にデンマーク代表に招集された経験を持つ。21年5月に浦和へ加入し、昨季リーグ戦15試合に出場した。優れた危機察知能力と球際の強さを兼ね備え、安定感抜群の守備を披露する一方、攻撃の起点となるパスやドリブルでも貢献する。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)