体育にサッカーは必要か 遊ばせてこそ体感できる競技の楽しさ、技術習得を重視すれば一転して苦痛に

自由に遊ぶ時間を設けてあげるのが、最も体を動かすのを好きにさせる方法だ

 日本でデザイナーとして活躍しているリヴァプール出身のトニー・クロスビー氏が言っていた。

「世界中の子供たちにとって、サッカーはどうしてもやらなくてはいけないものだけど、日本では習い事のようだ」

 地球上の大多数の子供たちは、まず遊びの場でサッカーに接するが、今でも日本では大人に教えてもらうことからスタートしている。もっとも学校体育で魅力を知り本格的に取り組む子も少なくなっているので、サッカー界にメリットがあるとすれば普及面に絞られるだろう。プレー経験のない子に魅力を伝えたければ、ただゲームを楽しませるのがベストだ。子供を引率してきて初めてボールを蹴るお母さんたちが瞬く間に夢中になる光景が、それを如実に物語っている。

 ところが先生たちには指導をする義務感があり、しかも成績までつけなければならない。中山普及部長が「鉄棒は技術を習得するかどうかだが、サッカーではインステップを蹴れなくても楽しめる」と語るように、この競技の楽しさは遊ばせてこそ体感できるのに、技術の習得に焦点を当てると一転して苦痛に変わってしまいかねない。

 確かに水泳のように、場合によっては生死に関わる種目を学校で教われることは貴重な意味を持つが、大半のスポーツは嗜好品だ。

 そこに点数をつけることへの矛盾は、障害を持ち体育の評価を受けられない子供たちが、そのためだけに普通学校から特別支援学校へ転入していく現実を見ても明らかだ。

 幸い日本の学校では、サッカーをプレーする場所が確保されている。本来なら不要な授業をさっさと打ち切り、そこで自由に遊ぶ時間を設けてあげるのが、最も体を動かすのを好きにさせる方法だと思う。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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