体育にサッカーは必要か 遊ばせてこそ体感できる競技の楽しさ、技術習得を重視すれば一転して苦痛に
【識者コラム】かつてマイナー競技だったサッカー、状況一変で体育の時間でも導入
先日JFA(日本サッカー協会)が、学校体育への関わり方について解説をした。
過去を遡れば、58年前に初めて東京五輪が開催された頃の日本では、サッカーは明らかにマイナー競技だった。大会の初戦で日本はアルゼンチンを下す大番狂わせを演じたが、東京・駒沢陸上競技場では動員された小学生たちが試合そっちのけでスタンドを駆け回っていたそうだ。キャパシティーの問題もあるが、チケットも最後まで売れ残っていたのはサッカーだったという。
だがその4年後のメキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得すると、一気に多くの子供たちが興味を持つようになった。おそらくこれを機に子供たちは休み時間にボールを蹴るようになり、体育の時間でもサッカーが導入されるようになったのだと思う。JFAの中山雅雄普及部部長も「人気が低迷していた頃にも体育で行われていた」ことが後の時代につながったと見ており、各競技団体にとっては学習指導要領に入れてもらえるかどうかは死活問題なのだそうだ。
しかしそれから約半世紀を経て、状況は激変している。サッカー少年たちは、園児の頃からボールに親しみ、競技として取り組む場合は、遅くとも小学校低学年にはクラブやスクールに属してトレーニングを始めている。
小学校高学年から中学生になれば、日常的にプレーをしているかどうかでの落差は広がり、授業中に「選手たち」がボールを支配してしまったら、まったく触れられない子も出てくるはずだ。
先生たちも、こうした状況下では授業を組み立てていくのかが難しい。ある中学ではサッカー経験のない先生がテストも兼ねて「リフティングをやっておけ」と指示すると、Jアカデミー所属の選手が授業時間中ずっとボールを突き続けていたのに対し、一向に進歩が見られない生徒も少なくなかった。経験がない先生は、できる子にもできない子にも助言のしようがない。それでもリフティングをやらせれば回数で明確な優劣が出るので、成績はつけやすかったのかもしれない。
また別の中学ではサッカー経験のある外部コーチが授業を受け持ったが、熱心に指導をしようとする意識が裏目に出た。インサイドパス、シュート、そしてリフティングと3つのグループに分けて懇切丁寧に教え込むのだが、発想に柔軟性を欠き自立歩行も困難な女子生徒にまでインステップで蹴らせようとしたので、か細い彼女の足は腫れあがってしまった。
もちろんJFA側も現場の問題点を把握しており「サッカーの目的は楽しむこと。そんなにいじらなくても大丈夫ですよ」と、新聞紙で作ったボールを推奨するなど啓蒙活動を進めていく予定だ。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。