41歳最年長Jリーグデビュー→格闘家に異色の転身 クラファン、年俸10円、イップス…「職業:挑戦者」が歩んだ波乱万丈キャリア
プロ2年目のYS横浜時代に41歳でJリーグデビュー
ただ、クラブや周囲から見れば評価のベースとなるピッチ内での成果を出せず、18年シーズン終盤にはイップスを患い、公式戦出場を果たせないまま、契約満了となってしまった。
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「クラウドファンディングやSNSでの発信をクラブから禁じられ、プロになってから自分がやりたかったことをできませんでした。もちろん実力の差もありましたが、選手として100%勝負せざるを得ず、やればやるほど苦しくなって、練習に行きたくないし、トレーニングウェアを着たら気分が悪くなる状況に陥った。当時はイップスを誰にもバレないようにするので必死でした。なんとかこの状況を打破しなきゃいけないと思って、プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さんが『俺は最強だ』と自分に言い聞かせているという話になぞらえて、鏡に向かって『笑顔になることが大切だ』と。なかなか笑顔になれなかったですけど、続けたら少しずつ変化が出てきて、イップスは改善されました」
安彦は翌19年、J3のY.S.C.C.横浜と年俸120円で契約。3月10日の開幕節ガイナーレ鳥取戦(3-4)で後半37分から途中出場し、ジーコが持っていたJリーグ初出場最年長記録を上回る41歳1か月9日でJデビューを果たした。ただ、リーグ戦8試合でノーゴールと不完全燃焼で、不退転の覚悟で20年を「現役ラスト」と位置づけた。
「J3の舞台に立って、『やれる』という感覚はありました。やっていて楽しいし、シュタルフ(悠紀リヒャルト)監督(現AC長野パルセイロ監督)は戦術を緻密にやるタイプなので、自分が何をやればいいか明確でした。水戸では公式戦に出ていないのでなんとも言えませんけど、練習試合や紅白戦では結構点を取っていたので、J3でもゴールできると思っていました」
19年後半戦は左肩の脱臼、内転筋肉離れ、半月板損傷と怪我に苦しんだため、20年3月からビーガン(菜食主義)に変更。Yo-Yoテスト(シャトルラン形式の持久力測定テスト)で2倍の距離を走れるようになるなど、パフォーマンス面での改善は見られた。しかし、初スタメンを務めたリーグ最終節の藤枝MYFC戦(1-0)を含めて出場は5試合のみ。「だらだら続けるのは違う」と、宣言どおり20年限りでサッカー選手としての自分に見切りをつけた。
プロ3年間で、J3通算13試合0得点という結果に終わった安彦。それでも、「自分の人生を信じる」「職業:挑戦者」というモットーを貫き、プロ格闘家転身というオリジナルのセカンドキャリアを歩んでいくことになる。(文中敬称略)
[プロフィール]
安彦考真(あびこ・たかまさ)/1978年2月1日生まれ、神奈川県出身。新磯高―グレミオ・マリンガ(ブラジル)―ジャパンスポーツサイエンスカレッジ―エドゥサッカーセンター―ブレッサ相模原―南FC―エリース東京FC―水戸―YS横浜。19歳にしてブラジルでプロ契約を結ぶも、大怪我によって白紙。25歳で現役引退後、紆余曲折を経て2018年に40歳でJリーガーとなった。20年限りでサッカー界を離れ、格闘家に転身して活躍を誓う。