41歳最年長Jリーグデビュー→格闘家に異色の転身 クラファン、年俸10円、イップス…「職業:挑戦者」が歩んだ波乱万丈キャリア
教え子の行動に感化され、仕事を辞めて再びJリーガー挑戦へ
大宮では通訳を3年間務め、04年のJ1昇格も経験した。その後は選手時代の経験を生かし、指導者や選手のマネジメントなど、サッカーに携わる仕事に従事した。マネジメントした選手の代表格には、17年にシーズンMVP、ベストイレブン、得点王に輝いた川崎フロンターレのFW小林悠がいる。
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年収1000万円を稼ぎ、恵比寿の高級マンションに住んでいた安彦だが、どこか「ずっともやもやしていた自分がいた」という。J2東京ヴェルディが公式サポートする中央アートアカデミー高等部の「biomサッカーコース」に2015年の立ち上げからディレクター兼総監督として参加していたなか、教え子の行動に心を揺さぶられた。
「授業で、『何より大切なのは10回の素振りより1回のバッターボックスだ』と語っていました。自分はやったことはないけど、クラウドファンディングやベーシックインカムがこれから来るという話もしていて。そしたら、ある時、中学3年間不登校だった高校2年生の生徒が、『僕、クラウドファンディングやりました!』と言うんです。1500円の本を買おうとしながら300円しか集まらなかったことで、クラスでは笑い者にされていましたが、僕は膝からガクンと崩れ落ちる衝撃がありました。彼はいとも簡単にバッターボックスに立って見せた。『お前は何をしているだ?』と啓示を受けた気分でした」
自分のこれまでの後悔を書き出したリストを見て、清水の入団テストを受けて不合格となった記憶がよみがえった。「人生の後悔を取り返しに行こう」。当時38歳、安彦が再びJリーガーを目指して立ち上がった瞬間だった。
17年夏に抱えていた4つの仕事を辞めて安定した生活を捨て、Jリーガーになるべく肉体改造に着手。パーソナルトレーニング代85万円を集めようとクラウドファンディングを試みたところ、4か月間で155人から計121万円のサポートを受けることができた。そして、エリース東京FC(関東1部/現・東京都1部)を経て、J2水戸ホーリーホックの練習参加へ。18年3月、約3か月にわたった入団テストに合格し、ついに「Jリーガー」という肩書を手にした。水戸とは月収1円の10か月契約。“実質0円Jリーガー”として話題を集めたが、異例の条件となった背景には安彦の夢が大きく関係している。
「Jリーガーになるのは、お金が欲しいとか名誉が欲しいとか自分のキャリアアップのためじゃない。『より良い未来を創る』ことが僕の生涯の夢なんです。『年俸10円なんてJリーガーじゃない』と、多くの批判も受けました。ただ、お金をもらわない前提を作ったことで僕に対するハードルがグンと下がったし、クラブへのプレゼンの時からピッチ内だけでなく、ピッチ外の貢献も見てほしいと話していた。客席を20席もらって、1席1万円でマネタイズする試みを考えていました」