41歳最年長Jリーグデビュー→格闘家に異色の転身 クラファン、年俸10円、イップス…「職業:挑戦者」が歩んだ波乱万丈キャリア
ブラジルでプロ契約目前に怪我で白紙、清水の入団テストにも失意の不合格
高校卒業後、再びブラジルに渡った安彦は、今度はパラナ州マリンガのグレミオ・マリンガへ。2回目の海外挑戦で勝手がある程度分かり、ポルトガル語を理解できたこともあって、プロ契約にこぎつけたが、デビュー戦を目前に控えた実戦で悲劇に襲われた。右膝の前十字靭帯断裂――。プレーを続けるも思うように身体が動かず、翌朝には痛みから嘔吐してしまうほどの重傷だった。
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「プロ契約にサインした翌々日の紅白戦で、相手との間に身体を入れてボールをキープして、そのままターンしようと思ったら、ブラジルの深い芝にスパイクが引っかかって膝だけ回ってしまいました。その週末には、練習試合とはいえプロデビュー戦が控えていたなかで、右膝前十字靭帯断裂。今でも衝撃音は鮮明に覚えています。ぬるま湯に浸かっていたつもりはないですけど、慣れていろんなアンテナを張っていなかった結果、大怪我につながったのかなと。怪我した途端に、プロ契約も白紙で『帰国していいよ』とお払い箱。正直しんどかったですね」
ブラジルに残りたい一心からクラブに頼み込み、リハビリに励みながらU-12のコーチをすることになったが、ビザの問題により志半ばで日本へ帰国。安彦のブラジル挑戦は21歳で幕を閉じた。
ただ、安彦の挫折はこれだけでは終わらない。右膝の怪我が癒え、鹿島アントラーズでも活躍した元ブラジル代表MFジーコの実兄エドゥの推薦で、01年にJ1清水エスパルスの入団テストを受ける。当時、清水に所属していた元日本代表DF三都主アレサンドロは安彦が滞在していたブラジルのマリンガ出身だったこともあり仲が良く、絶好のチャンスのはずだった。しかし――。
30分×3本の入団テストは青森山田高が相手で、安彦は「絶対いける!」「ボールを持ったら、どんどん突破してクロスを上げてやる」と気合十分で挑んだが、年下の選手に簡単に身体を入られ、時には吹き飛ばされ、開始わずか10分で意気消沈してしまった。
「ボールを受けたくないので、仲間や敵の陰に隠れて声だけ出してやり過ごしていた。まあ、そんなヤツにパスは出てこないですよね。このままじゃマズい。残り20分をなんとかやり過ごして、2本目に切り替えてやろうと思ったんですけど、1本目が終わったら監督に呼ばれて、『安彦くん、もう帰っていいよ。ジョグ(ジョギング)してシャワー浴びな』と。『明日があるって誰が決めたんだ』と痛感しました。30分×3本と言われたとしても、約束されたチャンスなんてなくて、自分から掴みにいかないといけないプロの厳しさを味わいました」
さらに、安彦は不合格の理由を自分以外に求め、いつしか嘘をつき始めるようになってしまった。
「ブラジルで負った古傷が痛んだ」
「そんなにサッカー好きじゃなかった」
「俺は良かったけど、チームのコンセプトに合わなかった」
しばらくはそのままエドゥの下でプロを目指していたが、Jリーガーとしての道を切り開くことはできず。J2大宮アルディージャから通訳のオファーが来たため、03年に25歳で現役生活にピリオドを打った。
「自分がビビったことは隠して、誰かのせいにしていました。そんな弱さと向き合えないヤツがプロになれるわけがない。エスパルスの入団テストが転機で、虚勢を張って生き始めてしまった瞬間です。どこかで辞めなきゃいけないと思っていた時に、大宮アルディージャの通訳の話が来たわけですが、今思えば、お世話になったブラジル人に恩返しをしようというテイのいい言い訳ですよ(苦笑)」