中国サッカー界に欠け落ちた発想 なぜエリート教育は通用しないのか――足りない“遊びの時間”
【識者コラム】ひと昔前の日本スポーツ界を連想させたサッカー中国代表の姿勢
日本が中国に危なげなく勝てる競技は数少ない。もちろんスキーのジャンプなど明らかに発展途上の種目はあるが、熱の入り方を考えればサッカーは最も苦手な競技と言えるかもしれない。
かつて清水エスパルスで天皇杯を制したゼムノビッチ・ズドブラコ元監督は、数年前に中国の指導者約30人を迎えて講演会を開いたという。
「なぜ日本は、こんなに成長したんだ」
矢継ぎ早の質問が止まらず、催しは予定の45分間を大幅に超え3時間以上も続いたそうだ。ゼムノビッチ氏は、彼らに言った。
「中国は何十億円も使って有名な選手たちを集めてエンタテインメントとして盛り上げようとした。でもそれでは彼らが帰ってしまうと何も残らない」
まさに現在の中国代表が、そんな状況に陥っている。せっかく帰化させたブラジル人選手たちも母国へ帰ってしまい、日本戦に出場したのはアランただ1人。前任のリー・ティエ監督は辞任し、就任したばかりのリ・シャオペン監督には相当な重圧がかかった様子で、日本戦後のコメントがあまりに痛々しかった。
「この敗戦には責任を感じ、大変申し訳なく思っている。残る全ての試合に200%の努力と準備をして臨みたい」
あたかも苦境を「気合い」で乗り越えようとするかのような姿勢は、ひと昔前の日本スポーツ界を連想させた。
中国のスポーツへの取り組みは、英才教育が軸を成し、愛好者を増やして普及という概念は乏しい。まず身体能力に優れた素材を見つけ、彼らにサッカーを教え込む。反復や練習量に重きを置くところは、日本に通じるものがあるのかもしれない。
だが長時間の反復練習を基盤とするエリート教育は、他の競技では功を奏しても、なかなかサッカーでは通用しない。この競技では若年代のうちに十分に遊び、個々が主体的に考えて判断できる能力を身に付ける必要がある。「遊び」の時間が創造性を育み、考えて行動していくことが状況判断、戦術眼、駆け引きなどを養っていく。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。