【名将秘話】名古屋をプロ集団にさせたピクシーの“操縦法”  不満ならハーフタイムに怒号…カリスマ監督が喜怒哀楽を表現したワケ

口癖は「Never give up」 無類の負けず嫌いだったセルビア人指揮官

“ムチ”の部分においては、無類の負けず嫌いである部分もよく思い出される。チームスローガンにも採用されたことがある彼の口癖は「Never give up」。とにかく負けることが大嫌いで、不満の出来のまま前半を経たハーフタイムのロッカーで容赦ない怒号が飛び交うことは日常だった。

 着ていたジャケットを脱ぐでも、着るでもなく、ストレスを露わにするボスを見て、選手たちは後半に気合いを込めること人一倍。ピッチサイドで喜怒哀楽を表現する姿は我々も度々目にしてきたが、そうした気持ちを抑えず、そしてただ勝利への執念として表現することでも、稀代のモチベーターは勝利の道をチームに示してきたところがある。

 ただし、これも彼一流のカリスマがあったからこそ、という側面は否めず、生きるか死ぬかのプロの世界だからこそ効果的であり、一般社会でやたらめったら怒りを表現するのは危険かもしれない。

 幸運だったのは当時の名古屋は、そういった意味でのプロフェッショナリズムを理解する選手が多かったことだ。DF田中マルクス闘莉王やFW金崎夢生、DF田中隼磨も自己主張が強く、喧嘩まがいのぶつかり合いをピッチ内外で見せてきた。

 それは仲たがいをしているわけではなく、プロとして試合に勝つための執念のぶつけ合いだった。その頂点に立っていたのがストイコビッチ監督で、強いチームというのはひるむことなく意見を交換し合える良い空気感が漂っているもの。サッカーを離れれば彼らはとても仲の良いグループであり、ストイコビッチ監督も大の親日家という温和なキャラクターを見せてくれた。

 2013年の退任後、帰国を前に「名古屋から出かけていく気分です」と名残惜しそうにしていた顔は、今でも忘れられない。大好物の鮎の塩焼きエピソードや納豆の話、実はかなりのレベルで日本語を理解していること。そういった“ギャップ萌え”も人間的な魅力として、名将としてのストイコビッチ像を確固たるものにしていたのだと思う。

(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)

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今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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