「久保対エメリ」は作られた対立構図 現地日本人ジャーナリストが抱いた“悪者扱い”への違和感
【スペイン発コラム】久保の古巣ビジャレアル指揮官・エメリに向けられる見方
ウナイ・エメリは良将である。
現地時間1月22日、マジョルカとビジャレアルが対戦するということで、戯言を少し。
マジョルカにはビジャレアルへの恨みがある。2009-10シーズン、マジョルカはリーガ5位で終え、翌年のUEFAヨーロッパリーグ(EL)出場権を獲得するはずだった。ところが、ビジャレアルが「マジョルカはクラブの経営条件を満たしていない」とUEFAへ提訴。マジョルカは出場権を失い、宙に浮いた権利を得たのは本来なら出場圏外の7位だったビジャレアルだった。
マジョルカのファンは「ビジャレアルはピッチではなくオフィスで勝利を手にした」と猛反発。マジョルカからビジャレアルへ移籍した選手を裏切り者扱いするなど、EL出場権を横取りされた恨みは続いた。
とはいえ、日本のサッカーファンにとっては久保建英の黄色いユニホーム姿が記憶に新しく、今まで以上に注目が集まるだろう。昨季途中、久保は不本意な形でビジャレアルを去ることになっただけに、不満に思っている方が多いかもしれない。
ただここで言いたいのは、だからといってエメリ監督を悪く言うのはあまりにも一方的に肩入れした短絡的な見方ではないか、ということだ。
久保に肩入れする心情は日本人サッカーファンにとって至極当然の発想だし、それがいけないということではない。だからと言って選手を起用しなかった監督が悪者になるというのはどうなのだろうか。
私の勘違いかもしれないが、昨季ビジャレアルで久保が大活躍できなかった理由としてエメリ監督の起用法が挙げられ、少なくとも日本ではまるで水戸黄門に悪事を暴かれる「越後屋と悪代官」、映画「スターウォーズ」のダース・ベイダーよろしく、ヒールにして勧善懲悪の対立構図が作られているような気がしてならない。
あくまで個人的な見解だが、サッカーには対戦相手はいるが、悪役は必要ないと思う。もしそれが必要だというなら、ピッチ外、試合を前にファンやメディアが試合への期待感を盛り上げるため、サイドストーリーを作り上げるための材料でしかない。
私には1つの思いがある。サッカーはチームスポーツで、だからこそ。チームで目標を達成できるかが最初にあるべきだと常々捉えている。もしかすると日本人ファンの中には海外でプレーする日本人選手1人に注視しすぎて、他の選手やチーム全体への注目度が希薄になってしまっている方もいるのではないだろうか。
島田 徹
1971年、山口市出身。地元紙記者を経て2001年渡西。04年からスペイン・マジョルカ在住。スポーツ紙通信員のほか、写真記者としてスペインリーグやスポーツ紙「マルカ」に写真提供、ウェブサイトの翻訳など、スペインサッカーに関わる仕事を行っている。