なぜ賛否両論? ”青森山田スタイル”は国民的コンテンツの醍醐味 高校サッカーの「健全な姿」「清々しい姿」とは何か
ファンが選手権に求めるものと青森山田のようなチームが目指すものとの乖離
繰り返しになるが、試合で笛を吹くのはレフェリーだ。もし試合中、青森山田の選手がカードに値するようなファウルやラフプレーを行った場合、もしレフェリーが見逃していたとしたら、それは裁かなかった、あるいは見逃したレフェリーの問題になる。
もちろん青森山田だから勝つために何をやっても許せるわけではない。あくまでサッカーの公式ルールの中で最大限、勝利に徹した戦い方をしている。これは日本代表の長友佑都に聞いた話でもあるが、日本代表で試合をする時、最初にガツっと当たってみて、その時のレフェリーのリアクションを見て、そこからのプレー基準を測っていくという。
よく”鹿島る”と呼ばれるリードしている残り時間にコーナー付近でボールキープしたり、後ろで回して時間を進めるという行為はプロの世界であっても賛否両論はあるが、現行ルールにおいては違反ではない。
高校年代であってもトップトップの選手はレフェリーの基準というものをできるだけ早く把握して、ゲームをコントロールしていけることも大事な要素になる。プロを目指す選手であれば、なおさらだ。
一方で昔からのファンが高校サッカー、特に冬の風物詩である選手権に求めるイメージというものがある。そうした目線で見たらルールのなかとはいえ、ギリギリのところでコンタクトしたり、必要ならファウルで止めることも厭わない青森山田の戦い方は、そうした健全なイメージに反する部分があるのかもしれない。
サッカーをどういう目線で観るかはファンの自由だ。もちろん今回の青森山田のプレーを清々しくないと評価するのも1つの見方かもしれない。しかし、しかるべきルールの中で勝利のために最大限のことをやっているにすぎない。
青森山田は絶対王者と見られるかもしれないが、この年代全体で言えばチャレンジャーでもある。年度が変わればまたプレミアリーグで猛者たちと凌ぎを削りながら、多くの選手はプロを目指して厳しい環境に身を投じていくという基準で見たら、そこにあるのは健全な姿だ。
そういう意味では普段Jリーグや欧州などプロのサッカーをあまり観ない層も含めて、一般的にファンが選手権に求めるものと青森山田のようなチームが目指しているものに少々、乖離が生じているのかもしれない。
河治良幸
かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。