JFA田嶋幸三会長、名将・小嶺忠敏氏を追悼 哀悼の意を表明「高校サッカー発展の大功労者でした」
国見高を選手権6度の優勝に導いた名将の訃報へコメントを発表
日本サッカー協会(JFA)は1月7日、国見高校(長崎)を率いて6度の高校サッカー選手権優勝を成し遂げた小嶺忠敏氏(76歳)の死去を受けて、田嶋幸三会長のコメントを発表。高校サッカー界で数々の実績を残したことに触れつつ「まさに高校サッカー発展の大功労者でした」と、哀悼の意を表している。
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小嶺氏は国見高を選手権6度の優勝に導くなど、高校サッカー界の名将の1人として知られる。同校では、FW大久保嘉人、FW平山相太、MF三浦淳宏らプロ選手を多数輩出。恩師の訃報を受け、昨季限りで現役を引退した大久保や現在J1ヴィッセル神戸を率いる三浦監督ら教え子からは、悲しみの声が寄せられていた。
高校サッカー界のみならず、かつてU-17日本代表の指揮官を務めるなど、日本サッカー界の発展へ寄与した小嶺氏。JFAの田嶋会長からも哀悼の意を表したコメントが発表され、「国見高校の監督になってからも高校選手権で何度も優勝に導かれました。それまで優勝校は限られた地域のチームがその多くを占めていましたが、その後、全国各地から優勝校が出てくるようになりました。まさに高校サッカー発展の大功労者でした」とその功績を称えた。
また、小嶺氏の指導を受け、日本代表選手が育っていたことにも触れながら「小嶺先生はサッカーに人生の全てを捧げた方でした。心から哀悼の意を表します。そして、ありがとうございました」と締め括り、名将の訃報へ哀悼の意を表した。
■田嶋幸三JFA会長コメント
小嶺先生の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。小嶺先生は、島原商業高校サッカー部を強化するために、高校サッカーの強豪校との対戦を日常的に行う必要性を感じ、自らマイクロバスを運転して全国各地への遠征を続けられました。そういった並々ならぬご努力が実り、島原商業は1977年のインターハイで優勝、1984年には九州勢として初めて全国高校サッカー選手権を制覇しました。国見高校の監督になってからも高校選手権で何度も優勝に導かれました。それまで優勝校は限られた地域のチームがその多くを占めていましたが、その後、全国各地から優勝校が出てくるようになりました。まさに高校サッカー発展の大功労者でした。
U-17日本代表監督としては、1993年に日本で開催したFIFAU-17世界選手権でチームをベスト8に導くとともに、後のSAMURAI BLUE(日本代表)の中核を担う中田英寿さん、宮本恒靖さんらを育てられました。高校サッカー部の監督としてS級ライセンスを取得されるなど、名監督と言われながらも常に学ぶことをやめないその謙虚な姿勢に私も深い感銘を受けました。小嶺先生に倣い、多くの高校サッカーの指導者がS級ライセンスを取得するなど、全国の指導者をリードしてこられました。小嶺先生が蒔かれた種が日本各地で実り、多くの日本代表選手が生まれることにつながったと思います。
小嶺先生はサッカーに人生の全てを捧げた方でした。心から哀悼の意を表します。そして、ありがとうございました。
公益財団法人日本サッカー協会 会長 田嶋幸三
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(FOOTBALL ZONE編集部)