埼玉・西武台、無念の初戦敗退 肺気胸で倒れた3年生FWへ「申し訳ない」…大会1か月前から漂っていた悪い予感とは?
優勝を本気で目指していた指揮官、初戦負けにショックの色
試合の感想を求められたベテランの守屋保監督は、「悔しい」と一言述べただけ。チームとしては初の、埼玉県勢として40年ぶりの優勝を本気で目指していただけに、初戦負けのショックの色がにじんだ。
今季の高円宮杯U-18埼玉県S1リーグを無敗で制し、プリンスリーグ関東1部参入戦(12月18、21日・山梨)に出場。桐蔭学園(神奈川)と関東第一(東京)をいずれもPK戦で連破し、来季のプリンスリーグ関東1部昇格を決めている。
それでも指揮官は「この2試合と県リーグなど最近の4試合ですべて引き分け、選手権では相手の守りを崩し切れるかがテーマと課題だった」と説明。「こぼれ球の処理やシュート精度などを含め(攻めの)工夫が足りなかった」と敗因を挙げた。
原田は本番1か月ほど前から、引き分けの多さを危惧し、「選手権を考えたら勝ち切らないといけないので、納得できない」とチームを戒めていた。その悪い予感が的中し、「何もできなったという感じ。攻撃ではもっとサイドを使い、自分も良いクロスを上げていたら……」と悔やみ、「細田に申し訳ない。1試合でも多く勝てば復帰できる可能性もあった」と主将としての責任を背負い込んだ様子だった。
伝統的に攻撃が持ち味のひとつである西武台が無得点。しかも、出場わずか2度目の三重に敗れたのだから、一発勝負の初戦、そして独特の舞台である選手権は何が起こるか分からない。
「相手がもっと攻めてくれば(カウンターから守備の)裏を取れたが、うちの攻める時間が長かったことが、かえってわれわれには裏目になった」と守屋監督。今年6月の関東高校大会で11年ぶり3度目の王者に就いた西武台にとっては、かくも皮肉な結末が待っていた。
(河野 正 / Tadashi Kawano)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。