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小野伸二、高原直泰、稲本潤一らを輩出 日本サッカーの“黄金世代”が刻んだ歴史
高原直泰は黄金世代の絶対的ストライカーとして君臨
一方で、この世代の絶対的なストライカーとして君臨したのがFW高原直泰だった。清水東高から98年にジュビロ磐田へ加入すると、当時の日本代表でエースだった“ゴン中山”ことFW中山雅史とコンビを組んだ。スピード、パワー、テクニックを兼ね備えた日本サッカー待望のストライカーは、ワールドユースでもシドニー五輪でもゴールを量産して活躍。JリーグでもMVPと得点王をダブル受賞するなど、傑出した存在だった。
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2002年の地元開催、日韓W杯にエコノミークラス症候群を発症したことで出場できなかったのは、多くのファンも残念がった。しかし、その後にドイツ移籍すると「スシ・ボンバー」というニックネームも与えられながら活躍。当時、最強のGKと目され無失点も継続していたバイエルン・ミュンヘンのドイツ代表GKオリバー・カーンからゴールを奪ったことも大いに話題になった。08年に帰国して浦和に加入して以降は苦しむことも多かったが、日本人最強ストライカーの話題では常に最有力候補に名前が挙がる。
一方で、所属の鹿島アントラーズでも黄金時代を築く大きな力を発揮したこの世代が、DF中田浩二、MF小笠原満男、MF本山雅志のトリオだろう。98年のプロ入りは前述の2人と同じだが、3年目の2000年にはJリーグ、ヤマザキナビスコ杯(当時)、天皇杯の国内三冠制覇の原動力になった。特に小笠原はリーグのチャンピオンシップ、天皇杯の双方でMVPを獲得するなど勝負強さが目立った。途中イタリア移籍もしたが、長年にわたって鹿島のトップ下に君臨し、その「イズム」をチームに浸透させた。
中田は当時から貴重な左利きで守備的なポジションを幅広くできるユーティリティープレーヤーとして長年活躍。フランスの名門マルセイユでもプレーし、日本代表でも57試合に出場するキャリアを築き上げた。本山はシドニー五輪に向かう時期が最も代表絡みの活躍が多かったかもしれないが、切れ味鋭いカットインを武器にして鹿島で長年にわたってチャンスメーカーとして君臨した。