小野伸二、高原直泰、稲本潤一らを輩出 日本サッカーの“黄金世代”が刻んだ歴史

(左から)FW高原直泰、MF稲本潤一、MF小野伸二、MF小笠原満男【写真:Getty Images】
(左から)FW高原直泰、MF稲本潤一、MF小野伸二、MF小笠原満男【写真:Getty Images】

黄金世代は1999年のワールドユース準優勝で大ブレイク

 今夏には東京五輪が開かれ、森保一監督が率いた日本代表は「金メダル獲得」を明確な目標と定めた。その五輪において、日本サッカーが最大の期待を集めたのは2000年のシドニー五輪だったかもしれない。その中心となった「黄金世代」が、日本がアジアの中で最強クラスの評判を確立し、さらに世界へ打って出ていく時代のスターたちだ。

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 当時の日本サッカーは、1993年にJリーグが開幕して96年には28年ぶりの五輪出場(アトランタ)、98年のフランス・ワールドカップ(W杯)に初出場と、今に続く両大会への連続出場が始まった時期だった。そして、今回の森保監督の先例にもなった、A代表と五輪代表の兼任監督に就任したのがフランス人のフィリップ・トルシエ監督。エキセントリックな面はあったが、有能な若手選手を次々に抜擢した功績は大きい。その中心が、1979年生まれの黄金世代だった。

 99年のワールドユース(現U-20W杯)で準優勝を果たしたことで大ブレイクしたこの世代は、まずはMF小野伸二が中心のチームだった。98年に清水商業高から浦和レッズに加入し、開幕当時からレギュラーを獲得。柔らかいボールタッチに、足に吸い付くようなトラップや「センチメートル単位」と言われたパスセンスの持ち主で、多くのファンの心をつかんだ。まさに「誰が見ても上手い」選手の典型で、セットプレーを蹴るレベルで右足だけでなく左足でも正確なボールを出した。

 惜しむらくは99年にシドニー五輪の予選で相手選手の悪質なタックルで大きな負傷をしてしまい、翌年の本大会には出場できなかったことだ。キャリアにも影響を与えるレベルの負傷だったが、シドニー五輪直後のアジアカップにA代表の一員として出場すると、オランダのフェイエノールトに移籍して中心選手として活躍。のちに世界レベルのストライカーになるFWロビン・ファン・ペルシ-らとプレーし、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)も勝ち獲った。現在も北海道コンサドーレ札幌で現役を続け、若手に大きな影響も与え続けている。

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