元日本代表MF水野晃樹が味わった挫折 大ブーイングのJ復帰戦で靭帯断裂――代名詞のスピードを失ってもプロで生き残れた理由
武器のスピードを失い、挫けそうになった水野を救った北島秀朗の言葉
柏には2012年まで計3シーズン在籍し、大きなインパクトを残せぬまま13年にヴァンフォーレ甲府へ。2年間プレーした後は、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原とJクラブを転々としてきたが、プロキャリア当初にようにコンスタントなプレー機会は激減した。
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膝の大怪我によりスピードという武器は失われ、自らのキャリアに暗い影が差し込んだ。思い通りのプレーができなくなれば、志半ばで選手生命を絶たれてしまう者もいる。それでも前を向き続けた水野は、怪我とどう向き合ってきたのだろうか。
「言い訳にしたくないんですよね。思い通りにプレーできなくなったことを怪我でまとめちゃうっていうのが逃げに感じてしまって。結局そうなったのは普段の行いからだと思っていて、もっと身体をケアして柔軟性があったら、怪我をしなかったのかなと思ったり……。そこは自分の責任です。
でもサッカーが好きだから、続けたいっていうのが第一にあって。自分らしいプレーができなくなった時に、『次はなにができるのか』と考えるのがまた楽しい部分ではあったんですよ。ただ、そこで上手くシフトチェンジができなかったというか、結局、以前の姿を追い求めるのは無理と言い切れちゃう。スピードが上がらないから、変えるしかなかった。
今できることをやらないといけないのに、良かった頃の自分をずっと追いかけてしまっていた。その期間が結構長かったんです。だから中途半端なプレーしかできなかったというのが、数年あったんです。
スピードに乗ったドリブルで仕掛けてクロスっていうのは代名詞だったので、それが失われてしまった時に何が残るのか……。そう考えた時に一つはキックの質。それまではどちらかというと受け手だったんですけど、出し手になる。パスセンスももっともっと磨こうと。
自分で仕掛けるというよりはラストパスでチャンスを作っていく選手にならなきゃいけないと意識しながら。でも、それが上手くできたのかというとできなかった。だからこそ、チームを転々として1シーズンコンスタントに出られないっていうのがずっと続いたのかなと思います。
それでも一つ救われたなと思うのは、柏時代の同僚だった北島秀朗さん(現大宮アルディージャヘッドコーチ)の言葉ですね。北島さんも現役時代、膝の怪我とずっと戦っていて、北島さんが言った言葉というのが『今のお前にできることを絶対やったほうがいい』『今のお前が凄いんだ』って伝えてくれたんです。
『スピード、ドリブルがなくたって、お前の良さってあるじゃん』っていうのを伝えてくれて。僕にとってそれが本当に励みになって、それから『今の自分にできるものってなんだろう』って考えられるようになったんですよ。1シーズンまともにプレーしたシーズンはなかったと思うんですけど、それがあったからこそ今に至っているのかなと思います」
(インタビュー#4へ続く)
[プロフィール]
水野晃樹(みずの・こうき)/1985年9月6日生まれ、静岡県出身。清水商業高―市原―セルティック(スコットランド)―柏―甲府―千葉―仙台―鳥栖―熊本―相模原―はやぶさイレブン。スピードと正確なキックが特徴のアタッカー。今年2月から神奈川県社会人サッカーリーグのはやぶさイレブンでプレー。日本代表通算4試合・0得点
(FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓 / Akira Hashimoto)