小野、遠藤、小笠原も… 日本屈指の名手も泣いたサッカー五輪代表の「18」という狭き門
最強メンバーのシドニー五輪ではビッグネームの落選相次ぐ
手倉森誠監督率いるUー23日本代表は7月1日、運命のリオデジャネイロ五輪メンバー発表を迎える。五輪代表の枠は18人と限られたメンバーということもあり、過去の大会では多くの有望な若手が落選。悔し涙をのんできた。そこで、ここ6大会の選出外のプレーヤーたちについて振り返ってみた。
28年ぶりの予選突破を果たした1996年のアトランタ五輪で西野朗監督が指揮を執った。ブラジル代表を撃破し、「マイアミの奇跡」と呼ばれる歴史的な勝利を手にしたチームにはGK川口能活(現J3相模原)、DF松田直樹氏、MF前園真聖氏、MF中田英寿氏、FW城彰二氏らといった錚々たるメンバーが名を連ねた。
この世代の絶対的エースで“レフティーモンスター”の異名を取ったFW小倉隆史(現名古屋監督)は96年3月の最終予選直前に負った右足後十字靱帯断裂の重傷によって大舞台出場の夢が潰えた。また96年に富山一高から鹿島に入団したFW柳沢敦もメンバー入りがうわさされたが、予備登録にとどまった。
00年シドニー五輪では前回大会に続き中田氏や松田氏、そしてDF宮本恒靖氏やMF中村俊輔(横浜Fマリノス)、またMF稲本潤一(札幌)やFW高原直泰(沖縄SV)ら“黄金世代”がミックスされて史上最強のメンバーとなった。監督を務めたフィリップ・トルシエ氏は前回大会で使わなかったオーバーエイジ枠を活用し、GK楢崎正剛(名古屋)、DF森岡隆三氏、MF三浦淳宏氏の3人が加わった。
鹿島MF小笠原満男が選出外、G大阪MF遠藤保仁という後の日本代表の主力選手が予備登録メンバー止まりとなる激しい競争だった。
そしてこの大会、負傷の影響で落選の憂き目にあったのは日本最高の天才と称されたMF小野伸二(札幌)だった。99年の五輪1次予選フィリピン戦で相手の悪質なチャージに遭って左ひざ靭帯を断裂。これが響いてシドニー切符は手にできなかった。その後は浦和、フェイエノールトで活躍し、04年アテネ大会にはオーバーエイジ枠として返り咲いている。
その、アテネ五輪ではMF阿部勇樹(浦和)、MF今野泰幸(G大阪)、松井大輔(磐田)、FW大久保嘉人(川崎)らが順当に選出される一方で、浦和勢で明暗が分かれた。DF田中マルクス闘莉王、FW田中達也(新潟)が選ばれながら、アジア最終予選で主将を務めたMF鈴木啓太氏が18人枠から外れる結果に、驚いたファンやサポーターも多かったはずだ。
08年北京五輪ではグループリーグ3連敗に終わった。しかし、DF吉田麻也(サウサンプトン)、DF長友佑都(インテル)、DF内田篤人(シャルケ)、MF本田圭佑(ACミラン)、MF香川真司(ドルトムント)、FW岡崎慎司(レスター)らは日本代表を支える中心メンバーと成長した。一方で、MF柏木陽介(浦和)、アテネ大会のメンバーだったFW平山相太(FC東京)らは予選に出場しながらも選出外となった。落選組の中にはリオ五輪のオーバーエイジ枠として内定しているFW興梠慎三(浦和)の名前もある。8年前の悔しさを胸に、ゴールネットを揺らしたいところだ。