外国籍選手との対峙で放った輝き 槙野智章が「対人のスペシャリスト」として大成したワケ

「自分がこうしていかなければいけないという方向展開ができた」

 グループステージと準決勝で上海上港と対戦し、MFオスカル、FWフッキ、FWエウケソンの強烈ブラジル人トリオを封じ込んだ。決勝では中東サウジアラビアの雄、アル・ヒラルとの肉弾戦も制した。特に、フッキを抑え込んだという実績は槙野にとって強烈な名刺になった。

 その間には、当時のバヒド・ハリルホジッチ監督から高く評価され、日本代表の常連にもなって欧州遠征でベルギー代表FWロメル・ルカクともやりあった。そして、翌年にはロシア・ワールドカップのメンバー入りも果たし、第3戦のポーランド戦にも出場した。

 槙野は契約満了後の記者会見で、こうした浦和でのプレーについても振り返っていた。

「ペトロヴィッチ監督が僕をレッズに連れてきてくれて、ミシャの戦術で輝ける選手、ミシャのピースに合う選手ということで、求めるプレーを最大限発揮しました。ただ、時間とともに、自分はこうしていかなければならない、チームが勝つためにどうすべきかということを考えるようになっていきました。そのなかで、ザッケローニ監督やハリルホジッチ監督から日本代表に呼ばれ、どうしたら日本代表の選手であり続けられるのかということにシフトチェンジしてプレーを選択するようにもなりました。

 前半の5年間、後半の5年間で僕のプレースタイルは変わりましたし、考えることも変わりました。そのなかでたくさんのタイトルを獲ったり、W杯に出場するという夢を叶えることができたのも、たくさんの監督の指導のおかげですし、自分がこうしていかなければいけないという方向展開ができたこともあったと思います。どういう監督の下でどういうプレーをしなければならないか、を考えながら過ごした10年間だったと思います」

 攻撃参加を好むDFのイメージが強かった槙野だが、その真骨頂とも言えたのは対人の強さにあった。それがゴール前でのポジション取りにつながり、セットプレーからのゴールにも生かされた。浦和が初めてアジア制覇を果たした2007年は、DF田中マルクス闘莉王を中心にした強固な3バックがチームを支えた。そして、浦和にとって2回目になった17年のアジア制覇において、槙野は大きな役割を果たした。

 名ディフェンダーの多い浦和のクラブ史上でも、対人のスペシャリストとして名を残したと言えるだろう。来季以降も現役続行することを基本線にしていている槙野だけに、その対人守備を浦和のアタッカー相手に見せる姿が来季に見られる可能性も十分にあるはずだ。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)

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