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「点取り屋とは思ったことがない」 Jリーグ通算133ゴールの玉田圭司が大切にした「楽しむ心」
玉田が記者会見で語った「頭でサッカーをやる」大切さ
V・ファーレン長崎の元日本代表FW玉田圭司は、12月11日に引退記者会見を行った。今季限りで23年間のプロ生活にピリオドを打ったなかで、「自分の中でFWとかストライカーとか思ったことは1回もない」と語った。
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習志野高から1999年にプロの世界に飛び込んだ玉田は、柏レイソルで徐々に頭角を現し、スピードに乗ったドリブルを武器に2002年の後半戦からレギュラーへ。名古屋グランパスに移籍した2006年に行われたドイツ・ワールドカップ(W杯)では、日本がグループリーグ3戦未勝利に終わったなか、王国ブラジル相手に鮮烈な先制ゴールを決め、「Keiji TAMADA」の名前を世界に轟かせた。
名古屋では2010年にJ1リーグ優勝も経験し、セレッソ大阪移籍、名古屋復帰を経て、2019年から長崎でプレー。所属3年目の今季は、リーグ戦19試合2ゴールという成績だった。
引退会見では、自らを「誰よりも負けず嫌いな選手」と言い現わし、「今でも自分がV・ファーレンで一番うまいと思う。実際そうだと思う(笑)」と笑いも誘った。J1リーグで99ゴール、J2リーグで34ゴールを奪ったが、決して得点には固執していなかったという。
「自分の中では、FWとかストライカーとか点取り屋とは、1回も思ったことがない。点を取るためにサッカーをしていたわけではないので、そのへんが普通の選手と考え方が違うのかもしれないですけど、僕はサッカーを楽しむことを考えていた。楽しくないことや苦しいこともあったけど、その言葉を言うことで奮い立たせていた部分がある。長崎でもその言葉を使っていて、それをみんなも言うようになった。その裏側のことも考えてくれるようになって、そういう言葉をかけて良かったと思う」
玉田は41歳まで現役を続けられたことに、自身の“サッカー愛”を理由に挙げた。
「小さい頃からやって、楽しかったからこそ、中学、高校と続けられてプロに入ったわけですけど、その気持ちをいつまでも忘れなかったからここまでやれたと思う。深く考えたことがない。若い頃に何歳までやりたいとか、考えたこともないので。年を取ればとるほど、サッカーは深いんだなと思わせてもらった。サッカーは足でやるスポーツだけど、本当は頭でやるスポーツだと思った。でも、それとは周りが比例していない部分もあって、走るだけや頑張るだけでもサッカーは成り立ってしまう。それが怖い部分でもあって、もっと頭でサッカーをやって欲しいし、そういうところはもっと植え付けられれば良いなと思いましたね」
飽くなき向上心とサッカー愛で戦い続けた男――。玉田圭司の名はサッカーファンの心にしっかりを刻まれたはずだ。
(FOOTBALL ZONE編集部)