Jリーグ創成期を支えた史上屈指のブラジル人CB 心に刻まれた日本での忘れられない”3つの瞬間”
元日本代表DF大岩剛氏は「一緒にプレーした中でも、最高の選手の1人」
今でこそ、CBからの攻撃のビルドアップは、チーム戦術の1つになっているが、トーレスはベンゲルから、当時の日本でそれを取り入れるために必要な選手だと言われていた。
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「僕もテクニックはあったと思うし、うしろで守備を指揮するのはもちろん、攻撃の起点となり、より明確なパスを出したり、状況次第ではボールを持って攻め上がったりしていた。ベンゲルは、そういう僕の特長を尊重してくれたんだ。その後、チームメイトたちもそれを学ぼうとしてくれたし、特に、CBでコンビを組んだゴー・オーイワ(大岩剛)なんかは、僕とプレーが似てきたと言われていたからね(笑)。ゴーは技術力の高い選手で、お互いにいい影響を与え合えた。僕はブラジルで、ワールドカップ優勝メンバーとも同じチームでプレーしたけど、それでも彼は、僕が一緒にプレーした中でも、最高の選手の1人だった。僕の日本での人生を手助けしてくれた親友でもある」
トーレスに日本での想い出を聞くと、3つの瞬間を話してくれた。
「まず、名古屋のユニフォームを着ての100試合目。美しいセレモニーをしてもらったんだ。ブラジルでは普通18、19歳で、もう100試合ぐらいはやっているものだから、そういう表彰はあまりなかった。だから、嬉しいサプライズだった。あの表彰状は、今でも家にとってあるんだよ。2つ目は、日本で末っ子が生まれた時。そのすぐ後の試合で、僕はゴールを決めて、ゆりかごポーズをやったんだ。3つ目は、一番心に刻まれている、僕の名古屋での最後の試合だ。5年間プレーし、あれほど愛していたクラブや日本とのお別れの時。しかも、天皇杯決勝だった。すごく感情が高ぶったよ。おかげさまで、僕らは勝利し、タイトルを獲ることができた。試合が終わったあと、チームメイトたちに胴上げされてね。あれは、あのチームで築いた友情の証しだよね。サポーターの歓声にも感動して、スタンドに向けて、何度も投げキッスをしたんだ。何度も、何度もね」
あの試合の前、ストイコビッチは「名古屋の功労者であり、友人であるトーレスとのお別れを素晴らしいものにするためにも、みんなで優勝しよう」と、チームメイトたちに話したという。
「彼には驚いたよ。クオリティーの高さはもちろんだけど、あんなに素晴らしい人物だとは、同じチームになるまで知らなかったからね。ただ、お互い、何とか英語でやりとりする状態だったから、ピッチの外では、特別親しい関係ではなかったんだ。ところがある時、彼が言った。『僕とカルロス(トーレス)は、同じ言語を話すわけじゃないけど、僕らは親友だ』ってね。その後は、もっと親しくなったよ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。