セルティック移籍は「9割反対された」 1年目でトップ出場ゼロ→五輪落選…元日本代表MF水野晃樹、それでも選んだ海外挑戦の意義
海外へ行かないと実力はどの程度か、失敗か成功か結果も出ない
2008年1月の移籍後、そのシーズンでトップチームでの試合出場はゼロ。当時22歳の水野はその年に開催された北京オリンピック代表のメンバー候補であり、本大会のメンバー入りを果たすチャンスもあったが、セルティックで出番がなかった状況が響き、結果的に落選した。
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「オリンピックが終わってからでも遅くはない」。周囲からはそう言われ、恩師であるオシム氏からは自らの決断へ厳しい言葉を投げかけられた。それでも、反対の声を押し退けて選んだ海外移籍は、大きな価値があったと水野は主張する。
近年、以前にも増して若年代で海外へ飛び出す数は増えた。これからその野望に挑もうとする選手たちを含め、若きタレントたちへ、水野には伝えたいことがある。
「若いうちから海外へ行くのは、今でも賛成派なんですよね。その時にしか経験できないものですから。僕自身、セルティックへの移籍は9割くらい反対されていたんですよ。その年にオリンピックもあったので、大会に出てからでも遅くないと、周りからはそう言われていたんです。
ただ、せっかくのチャンスでしたし、オリンピックの後にまたオファーが来るのかと考えた時に、優先順位として海外移籍が先に来たので、反対の声を押し退けて決断しました。移籍が決まってオシムさんに挨拶へ行った時には『一段、二段ではなく、三段ジャンプくらい、お前は難しい決断をしたんだぞ』と言われて、残念ながら厳しい結果にはなりましたけど、後悔は一切していません。チャレンジしなかったらそっちのほうが後悔していたと思うんです。
実際に海外へ行ってみて、自分の実力はどの程度のものか、失敗か成功かっていう結果も出ないですし、僕は周りの人から失敗したと言われてますけど、自分の中では失敗だとは思っていません。すごく良い経験ができましたし、それができる人間が、じゃあ何人いるのかというと、そんなにいるわけではない。
これがベテランになってから海外移籍となってもなかなか難しい。チャンスがあれば、僕なんかいまだに行きたいくらいですけどね。どのカテゴリーでも良いので、話を頂けるのであれば、チャレンジしたいです。僕と同級生の丹羽大輝選手(セスタオ・リベル・クラブ)は、スペインの下部リーグで挑戦を続けていて「いいなぁ、羨ましいなぁ」って思いますよ。
常にチャレンジしたいっていう気持ちが強いんですよね。アスリートの皆さんだったら共感していただけるとは思うんですけど、やっぱり、そういう気持ちっていうのはいまだに持っていますし、いろんなチャレンジはしていきたいです。
やっぱり、サッカーをやっている以上、日本代表を目指しますし、海外だって目指している人が多いと思う。そう思わなかったら成長止まっちゃいますから。それ以上の成長は絶対にない。そういう意味でも、若い選手が海外へどんどんチャレンジしている今のサッカー界の流れは良いことだと思います。
ただ1つ言いたいのは、先人の人たちが切り拓いてくれた道だっていうのを、しっかりと心に留めながらプレーして欲しいなというのはありますね。中村俊輔さんや中田英寿さん、長谷部(誠)さん、高原(直泰)さん、稲本(潤一)さん……。
海外で結果を残した人たちがいるから日本人選手を評価してくれて、今の流れにつながっている。そういう人たちの存在があって、海外へ行けているんだと思うのも大事かなと。僕の場合も、俊輔さんがいたからセルティックへ行けたと思っていたし、直接でなくても、サッカーを通じて関わっている人たちの有難み、感謝の気持ちを持つのも大切だと思います」
(インタビュー#3へ続く)
[プロフィール]
水野晃樹(みずの・こうき)/1985年9月6日生まれ、静岡県出身。清水商業高―市原―セルティック(スコットランド)―柏―甲府―千葉―仙台―鳥栖―熊本―相模原―はやぶさイレブン。スピードと正確なキックが特徴のアタッカー。今年2月から神奈川県社会人サッカーリーグのはやぶさイレブンでプレー。日本代表通算4試合・0得点
(FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓 / Akira Hashimoto)