セルティック移籍は「9割反対された」 1年目でトップ出場ゼロ→五輪落選…元日本代表MF水野晃樹、それでも選んだ海外挑戦の意義
試合に出ればある程度やれるという感覚、競争には勝てなかった
「海外へ移籍したいって思ったのは、2005年のU-20ワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出た時に、1勝もできなかったことがきっかけなんですよね。そこで初めて、世界の広さというか、自分の立ち位置が露わになって、もっと上のレベルに行くには海外に出ないといけないんだっていうのを強く思ったんです。それ以降、海外でプレーしたいとなってましたね。
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そこでいざスコットランドリーグに行ってみると、正直、試合に出ればある程度やれるという感覚はありました。ただ、チーム内での競争に勝てなかったのは事実で、当時のセルティックの中盤は、国内リーグのMVPに輝いた経験のある4選手で埋め尽くされていたんです。彼らのコンディションが良い時、自分はそれ以下だったので、なかなかそこで勝てなかった。
その選手たちが、怪我や体調不良で出られなかった時、試合に出るとある程度できてしまうんですよね。それは自信にはなるんですけど、彼らが戻ってきた時には居場所がない。チャンスを掴めても、そこまでのインパクトを残せなかった。そこが、向こうで目立った成績を収められなかった1つの要因かなとは思います。
初めての海外移籍でしたけど、環境面に関してはそれなりに馴染めていたかなと。英語圏なので、改めて勉強するというより、ある程度分かっている言語だったので、上手くコミュニケーションはとれていたんですよ。中村俊輔選手の通訳の方にもある程度サポートいただきながら。性格上、その場で楽しめるので、ピッチ外にはそこまで困らなかったですね。
1つあるとしたら、ピッチの緩さ。スコットランドは雨が多い気候なので、芝がすぐにめくれてしまうコンディションだったんです。そこに足を取られて膝の怪我をしてしまって。手術をしたのが向こうで2回。そういう意味では、環境に馴染めなかったと言えるかもしれません。だたそれも技術の1つだと思いますし、言い訳に過ぎないですけどね」