「今も人生での指針の1つ」 Jリーグ創成期を支えたブラジル人元Jリーガーが日本で学んだ”不屈のスピリット”
「日本でまた仕事をしたいという意欲を持っている」と“ラブコール”
今でも、日本とはコンタクトがある。代理人の頃はよく日本にも行き、名古屋のクラブハウスを訪ねたり、友人に会ったりしていた。
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「いつでもJリーグの情報は追っているし、名古屋を応援している。2010年にJ1リーグ優勝を達成した時は、本当に嬉しかった。特に、当時は(ドラガン・)ストイコビッチが監督を務めていたし、ジマ(飯島寿久)、イート(伊藤裕二)が一緒に仕事をしていた。育成には岡山(哲也)もいた。みんな、一緒にプレーした仲間。そこで足りなかったのは、僕だね(笑)。でも、僕はここにいる。なんらかの形で手伝えることがあるなら、いつでも準備OKだ。僕は名古屋で多くを学び、幸せな日々を過ごした。だから、どういう役割にしても、僕が日本でまた仕事をしたいという意欲を持っていることを忘れないでね」
日本を離れたあとも、彼の心に刻まれることがあった。11年の東日本大震災の時だ。被災地救済のためのチャリティーマッチなどがあれば、必ず参加していただけでなく、日本人の友だちにメールを送ったり、電話をしていたという。
「彼らは決して、もう駄目だというようなことは言わなかった。その逆で、悲劇は起こったけど、『立ちあがろう』『復活しよう』と。こちらの心が震い立ったものだ。あのスピリットは、今も僕の人生での指針の1つになっている」
彼のサッカー人生は続いている。その目標をこう語ってくれた。
「選手だった頃、自分が真面目な人間であり、責任感のある、良いプロフェッショナルだったという自負はある。それと同じように、人々に尊重される仕事をしていきたいんだ。これまでやってきたことを積み重ねるにしても、新たな挑戦をするにしても、いつでも真面目に、責任を持って取り組んでいくつもりだ」
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(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。