浦和は「サッカー人生そのもの」 契約満了の宇賀神友弥が悔いた「印象に残る試合」とは?
2014年J1リーグ第32節G大阪戦で決定機を逃し…「なんで決められなかったんだ」
そのキャリアの中で、最大の心残りはリーグ優勝が果たせなかったこと。この12年間で印象に残っている試合について「どれがと考えて、それが浮かんだ」と話したのは、勝利すれば優勝という状況で迎えた2014年のJ1リーグ第32節ガンバ大阪戦(0-2)、決定機で決められなかった場面だった。
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「まだ0-0の時にシュートを打って東口選手にストップされた。あのシチュエーション、今でも浮かぶ。あれを決めていれば、リーグ優勝をもたらすことができた。なんで決められなかったんだ、と。自分が浦和レッズに帰ってきた時に、恩返ししたいという思いで、それはタイトルをもたらすことだという強い気持ちで入ってきた。心に残っている、あのチャンスを自分の得意なコースだったのにと」
一方で、喜びの1つは17年のACL制覇。スタンドいっぱいに広がるビジュアルに「ピッチに立った瞬間に涙があふれてきた。試合前に実はもう泣いていた」と話し、18年天皇杯決勝で、コーナーキックのこぼれ球を豪快に蹴り込んだボレーシュートは「あんなスーパーゴールは一生に1回だよと思っている自分もいます」と笑う。ほかにもACLのFCソウル戦でのダイレクトボレーなど印象に残るゴールも見せてきた。
ピッチを離れれば、多くの社会貢献活動も行ってきた。台風の被害で荒川河川敷にある下部組織やレディースチームの練習場がある「レッズランド」が水没した際には復旧支援プロジェクトを立ち上げた。今年に入り、女子のプロサッカーリーグ「WEリーグ」の浦和レッズレディースに所属する3選手のマネジメントも手掛け始めた。そこには、「プロアスリートは地域貢献や社会貢献するべき立場だと思っている。プロサッカー選手でそういう活動をする人が少なさ過ぎると思うし、当たり前にできるいう文化にしたい」という思いもある。
今後について「18年間、浦和レッズしか見てこなかった。違う視点で良いところや悪いところを見て帰ってきたい。新たなところへ進めるワクワクした気持ちもある」と話す。それでも「浦和レッズは僕のサッカー人生そのもの。そして、埼玉スタジアムは僕の家」と話す生え抜きは、新たな場所でサッカー人生における次の1ページを開く。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)