将来嘱望のJリーガー、27歳で引退→俳優に転向 「1億円稼げる」と言われ奮闘も…異例のキャリアを辿った理由

浦和に移籍、先発出場予定でやる気も前日に東日本大震災

 翌10年も徳島でプレーし、11年はオファーを受けてJ1浦和への完全移籍を果たした。浦和は10年に主力の田中マルクス闘莉王が退団し、チームの若返りに取り組んでいた時期。青山もボランチのポジションを獲得すべく、モチベーションを高めていた。

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「僕にとっては名古屋以来のJ1。キャンプからスタメン組で、主将だった鈴木啓太さんとポジションを争っていました。アウェーだったヴィッセル神戸との開幕戦はベンチでしたが、この試合には負けて啓太さんは退場。次の試合は3月12日、ホーム開幕戦となるG大阪戦はスタメンで出る気満々でした。ただ、その前日に東日本大震災が起きてしまって……」

 青山の実家は仙台市にある。「まさか、地元が被災するとは」と思いながら、大津波の映像を目にした。「これはサッカーどころじゃない」と悟ったタイミングで、「試合中止」の連絡を受けた。

「家族が心配でした。母は試合を見に来る予定で、地震発生の少し前に、『これから家を出て、仙台から新幹線に乗る』と電話がありましたが、発生後は連絡がつかなくなりました。そして、深夜2時、固定電話がつながり、無事を知りました」

 3日後、余震を心配した青山は仙台入りし、母親をさいたま市内の自宅に連れて来た。その後、4月24日の試合再開が決定したが、青山はモヤモヤを抱えたままだった。

「被災地に入って状況を見たのもあって、埼玉に戻ってからは、周りとの『温度差』に戸惑いを感じていました。『もう1回、頑張ろう』とも思いましたが、どうにもスイッチが入らない。結局、再開初戦の名古屋戦もベンチスタート。その後、3、4か月ぐらいは不調でベンチも外れました」

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