名古屋“再生工場”に適任だったフィッカデンティ監督 日本サッカー界に刺激を与えている
【識者コラム】ルヴァンカップ決勝でも見えたフィッカデンティ監督の真骨頂
名古屋グランパスに生え抜きはいなかった。むしろ挫折を味わいキャリアの後半に差し掛かった選手たちもいる。だからこそここで必要とされたのは、伸びしろより個々の特徴を引き出し、場合によっては再生させる能力だった。
そしてその点でマッシモ・フィッカデンティは、まさに適任だった。豊富な経験と洞察力を持ち、効率的な戦術を駆使して結果を引き出していく。夢を追うより現実を直視して勝算を追求する。実際にルヴァンカップ決勝の采配も、その真骨頂と見ることができた。
今年名古屋は、全てのタイトル争いに終盤まで絡んだ。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)は日本勢の最後の砦となり、天皇杯もベスト8に進出。J1でもACLを狙えるポジションにいる。二兎どころか三兎を追う形になり、その結果逆にルヴァン杯は残された唯一のタイトルになってしまった。
コンディションは劣悪だったに違いない。「隔離生活は20日間にも及び、成績も芳しくない状況で決勝戦に向かっていけるだろうか」と、指揮官も懸念していたという。
しかも3日前の天皇杯準々決勝では、ルヴァン杯のタイトルを争ったのと同じセレッソ大阪に0-3で完敗。それは「知り合いとは思いたくない姿だった」(フィッカデンティ監督)という。
2-0で勝利した決勝戦を、主将の中谷進之介は「面白味には欠けるかもしれないけど、それが僕たち」だと言い切った。
序盤は捲土重来の気概を漲らせ、攻勢に出た。だが「そのまま走り続けることはできない」(フィッカデンティ監督)ことを見越して、堅守という足もとを見つめる。C大阪は、左サイドの乾貴士がトップ下に近い位置までは入り込み、サイドバック(SB)の丸橋祐介を高く上げてきていた。それに対し名古屋は、大宮時代から圧倒的な攻撃力を見せながら、なかなか中心的な存在になり切れなかったマテウスが、献身的に丸橋のマークに戻る。特徴を消さずに選手としてのグレードを引き上げる指揮官の仕事ぶりが象徴されたシーンとも言えた。
一方でセットプレーでリードを奪うと、すかさず左MFの相馬勇紀に代えて長澤和輝を入れて、木本恭生をアンカーに配した4-3-3に変更。さらに交代出場したシュヴィルツォクの突破が追加点を導くと、終盤には木本に代えて右サイドを主戦場とする森下龍矢を送り込む。C大阪の左サイドでの数的優位を封印するために5バックで対応するためだった。こうした刻々と変わる状況に合わせて、名古屋は「いくつもの顔を見せて」(同監督)快勝した。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。