37歳元Jリーガー監督、指導実績“ゼロ”も辣腕 原石となった闘莉王からの金言

名古屋時代に磨いたサッカー観、名立たる選手たちから学んだこと

 小川は2016年オフに名古屋との契約が満了となり、鳥栖へと移籍する。その後、半年で新潟へ期限付きで移籍し、翌年には完全移籍となった。32歳から35歳という選手としての晩年は、個人よりもチームを優先する姿勢が、自分の中に芽生えていたと小川は言う。

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 選手として様々なものを吸収し、成長につなげていた名古屋時代がインプットの時期だとすれば、名古屋を出たあとはアウトプットの割合が大幅に増えた。それは今に連なる“指導者・小川佳純”の隠れた出発点でもあったのだが、この時の彼はまだそのことに気づきはしない。では鳥栖、そして新潟で彼が何をしてきたのかと言えば、それは後編に譲ることとする。

 前編の最後としてはもう少し、インプットの話をしておこう。小川のいた名古屋には恐るべき戦力がひしめいていた。高校の大先輩でもあるクラブ唯一の“ワンクラブマン”中村直志。2006年、10年とワールドカップ2大会を戦い、41歳となる今季も現役のファンタジスタ玉田圭司(現V・ファーレン長崎)。Jリーグ史上に類を見ないセンスを持った偉大なるDF田中マルクス闘莉王。そしてレジェンド守護神の楢﨑正剛。

 数え始めればキリがないスーパープレーヤーたちの中でスタメンを張ってきた彼の実績は、再評価されてしかるべきだ。こうしたチームメートの中で小川はサッカー観をどのように磨いてきたのか。そこにはプロ13年を戦った小川の流儀、そして指導者としての原石が垣間見える。

「タマさん(玉田圭司)や(藤本)淳吾さん、マギヌン。そういう選手たちが何で上手いのか。何でフリーになれるのか、前を向けるのか、ドリブルで相手の逆を取れるのか。そういうことは見て盗んでいました。永井(謙佑)のスピードはマネできないけど(笑)、そういうマネはできる。

 まずは自分のことを知って、人のプレーを見て盗んで、それから監督からの戦術や狙いなどを考える、ということを僕は繰り返していましたね。他にも色んなことがありましたけど、やっぱりトゥーさんにはいろいろ言われて、試合中でもケンカしたことは多かったです(笑)。

 よく言われたのは、最後にプレーするのは選手ということ。試合中、『本当はああしなきゃいけなかったけど、監督に言われていたからこうしていた』と言うけど、『そうやって判断の責任を全部監督のせいにするのか』と。それは違うだろうと。

『チームとしてやることはあるけど、ピッチ内で判断してプレーするのは選手だ。だから自分の判断を大切にしたほうが良い』と言っていました。僕もいま監督になって、『こういうポジションを取ってくれ、なぜならこういう理由があるから』と言うけど、これは禁止とか、これはしてはいけない、ということは言わないようにしています」

 なかなかに得難い経験を胸に、新天地へと旅立った小川の前にはその後、自然とも言える流れで指導者への道が拓いていくことになる。(文中敬称略/後編へ続く)

[プロフィール]
小川佳純/1984年8月25日生まれ、東京都出身。高校サッカーの名門・市立船橋高から明治大へ進み、2007年に名古屋グランパスへ加入。プロ2年目のシーズンでレギュラーへ定着し、その年の新人王とベストイレブンを獲得した。翌年から背番号10を背負うと、プロ4年目でJ1リーグ制覇(2010年)を経験。17年以降はサガン鳥栖、アルビレックス新潟と渡り歩き、20年1月に現役引退とFCティアモ枚方の監督就任を発表した。

(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)

今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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