“危険”行為を逸脱したFC東京レアンドロの愚行 現代スポーツで悪役スターは成立しない
明白にプレーと無関係だった肘打ち、競技の特性上起こり得る危険からも逸脱
総じてスポーツは、時代とともに選手たちの安全や健康を守り、公明な実施を図る方向へと改善されている。1990年イタリア・ワールドカップでは、ディエゴ・マラドーナ、マルコ・ファン・バステンらのスター選手たちが悪質なファウルの犠牲になるのを予防するためにカードが急増した。VARの導入も極力嘘(演技)を見極め、平等性を担保するための手段でもある。
FC東京は「レアンドロ本人も猛省している」と声明を出した。だがこれだけ繰り返され映像にも残っている行為について、クラブが認識してこなかったはずはないし、反省を促したのも一度や二度ということはあり得ない。中谷の傷がこめかみだったのは不幸中の幸いで、もう少し逸れていたら選手生命を脅かす大惨事になっていた。
またレアンドロの行為は、競技の特性上起こり得る危険からも逸脱しているという捉え方もできる。本来スポーツは「試合中に怪我が生じる可能性があることを認識して臨む(=危険の引き受け)」ものだが、例えばG大阪の山本悠樹を追走して後ろからパンチを入れた行為や、樋口への肘打ちなどは明白にプレーとは無関係で、もし相手が負傷していれば一般社会と同様に賠償責任が問われる可能性も否定できない。
もはやこの時代にヴィニー・ジョーンズのような悪役スターは成立しない。本人猛省の伝達声明だけでは、被害者もファンも「危険の引き受け」は難しいだろう。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。