「レッズがいたから頑張れた」 元Jリーガーが貫く“浦和愛”、儚かった2年間のプロ生活

快足FWエメルソン(左)とパーティーでのひとコマ【写真:本人提供】
快足FWエメルソン(左)とパーティーでのひとコマ【写真:本人提供】

レッズ以外のクラブから獲得を打診されても固辞「レッズが駄目なら教員に…」

 恩師の方針にもブレはなし。渡辺は高校卒業直後、右の半月板を手術。荻野監督が浦和の仁賀定雄医師に「大学を出たらレッズに入る選手なので手術して下さい」と、こんないかした言葉で依頼している。

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 大勢のJリーガーを輩出する大学を調査し、一浪して第一志望の筑波大に進んだ。1年生の6月にはトップ下のレギュラーとして活躍。Jリーグスカウトとの窓口になる萩原武久監督には、レッズ以外のクラブから獲得を打診されても固辞してもらうよう伝えた。外柔内剛な男である。

「浦和にレッズがやって来て、レッズの試合を見て、レッズの選手になるために頑張ってきたので、レッズが駄目なら教員になってサッカーに携わるつもりでした」

 99年11月25日、福島県Jヴィレッジで短期合宿中の浦和は筑波大と練習試合を行った。仁賀医師は浦和入りが内定した渡辺と再会し、「あの話は本当だったんだね」と仰天する。

 昨春、浦和の下部組織を統括するアカデミーダイレクターに就任し、第二の関根貴大や橋岡大樹(シント=トロイデン)を育てたいと抱負を述べた。とても重要な任務だが、「レッズは中学生の頃から自分を強くしてくれた存在、レッズがいたから頑張れた」と生きる支えにした渡辺のような、浦和を心の底から敬慕する“第二の渡辺”を生み出すことも忘れてはならない。(文中敬称略)

(河野 正 / Tadashi Kawano)

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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