ブラジル人元Jリーガー、栄光の時を過ごした日本への感謝 「今も僕の心に住んでいる」
今でも鮮明に残る2005年J1リーグ優勝でみんなで泣いた思い出
当時のG大阪は、良いスタートを切った年でも、どこかでペースダウンしてしまっていた。それが、アラウージョのいた2005年は1年を通して好調を維持し、ついにJ1リーグ初優勝を果たすことができた。
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「ガンバは、チームとしての完成度が高かった。それに、僕にとっては、チームや選手個々のプレースタイルのおかげで、もっとフィットしやすかった。日本代表でプレーするクオリティーの高い選手たちもいて、攻撃的なサッカーをしていたんだ。例えば、ボランチの遠藤(保仁)。今でもインターネットで探して見ているほど、彼のプレーが大好きなんだよ。中盤には二川(孝広)もいた。前方では大黒(将志)が良かったし、ブラジル人のフェルナンジーニョもいて、良いコンビネーションが築けた。
後方には、シジクレイと宮本(恒靖)。宮本は、熱くて、かつ冷静なキャプテンだった。引退後にガンバの監督を務めたのも納得できる。他の選手たちも含めて、僕らの関係はすごく良かった。それがあったからこそ、最後まで良い結果を出し続け、タイトルにつながったんだ」
G大阪での想い出の試合を聞くと、次々に出てくる。怪我のため、防御マスクをして臨んだJ1リーグ第10節ジュビロ磐田戦でのビューティフルゴール。そして、J1第13節東京ヴェルディ戦も忘れられない。
「7-1という素晴らしいスコアで勝って、僕自身も3ゴール4アシストをすることができた。特にアシストができたことで、僕はJリーグのサッカーをもっと深く理解できた、掴めたという自信がついたんだ」
アラウージョの心に最も刻まれる瞬間がある。J1最終節の川崎フロンターレ戦。あの年は最後まで、G大阪を含む5チームにタイトルの可能性が残るという混戦だった。
「試合終了まで、どこが優勝するか分からなくてね。ガンバは4-2の勝利。僕はチームの先制点と4点目を決めることができたんだけど、その最後のゴールはもうロスタイム。驚いたよ。ゴールの瞬間、歓喜のあまり、サポーターがピッチになだれ込んできたんだ。Jリーグ初優勝! サポーターと選手たちがもみくちゃになって抱き合い、みんなで泣いて。あの瞬間は今も鮮明に覚えている」
優勝とともに、多くの個人賞も獲得した。特にJリーグMVP獲得の瞬間を思い出すと、今でも感動がよみがえるという。
「表彰式で泣いてしまったんだ。来日後、適応に苦しんだ頃のこと、サポーターが少しずつ、僕に笑顔を向けてくれるようになってきた頃のこと、温かい声援を受けるようになったこと。そういうすべてを思い出して、『ああそうだ、僕はこのガンバというチームでタイトルを獲りたかったんだ』、そして『みんなで一緒に夢を実現したんだ』と、改めて実感した」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。