メッシ移籍で“MMNトリオ”結成 夢の陣容も…「世紀のアタック陣」は賞味期限が短い
「銀河系」も「オランダトリオ」も輝いた期間は意外と短かった
「銀河系」と呼ばれたレアルは2000年にルイス・フィーゴ、01年にジダン、02年にロナウドを獲得。バロンドール受賞者3人の揃い踏みは史上最も華々しかったかもしれない。03年にはデイビッド・ベッカムが加入して華々しさは頂点に達したものの、すでに全盛期は終わっていた。
この時のレアルはフロレンティーノ・ペレス会長が、偉大なサンティアゴ・ベルナベウ時代の再現を狙っていた。アルフレッド・ディ・ステファノ、フランシスコ・ヘント、レイモン・コパ、フェレンツ・プスカシュ、エクトル・リアルのアタックラインは「元祖銀河系」と言っていい。ディ・ステファノとコパはバロンドール受賞者で、プスカシュも共産圏だったハンガリー人でなければ受賞していたはずだ。ところが、この5人が揃ったのは実は8試合だけなのだ。
ACミランの「オランダトリオ」も、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトが揃った試合は案外少なく、トリオというより「オランダコンビ」のほうが多かったかもしれない。
ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金の4人」は、ほぼ1982年ワールドカップ限定である。
豪華アタックラインの草分けとも言えるリーベル・プレートの「ラ・マキナ」は、ファン・カルロス・ムニョス、ホセ・マヌエル・モレノ、アドルフォ・ペデルネーラ、アンヘル・ラブルーナ、フェリックス・ロウスタウの5人の名で語り継がれている。まだ若かったとはいえ、あのディ・ステファノがポジションを獲れなかった。ところが、これまた全員集合は18試合しかない。
いずれも輝いたのはそんなに長い期間ではなく、長くて3シーズン。10試合前後でサッカー史上に名を残すぐらい印象的だったのは逆に凄い気もするが、世紀の攻撃陣の賞味期限は短いものであるようだ。
(西部謙司 / Kenji Nishibe)
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。