Jリーガー引退直後に政界へ 元日本代表GK、さいたま市議として誓う浦和への恩返し

さいたま市議一期目に手掛けた教育関係の仕事にやりがい

 15年統一地方選前半戦、4月12日投開票のさいたま市議選に自民党公認で定数5の緑区から立候補。トップと46票差の7000票を獲得し、2位で初当選を果たした。

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 一流のプロアスリートも現役を退くと、様々な分野で第2の人生を送ることになるが、政治家に転身するJリーガーは珍しい。

 現役時代の都築は洋服や装身具、車にもこだわり、ピッチでのたたずまいと同じく実に個性的だった。

 Jリーグは引退後の選手支援のため、02年にキャリアサポートセンターを設立し、04年から現役選手を対象にしたインターンシップを展開。都築は09年12月、東京都内のなじみの古着店で2日間従事し、この制度を体験した。「アパレルは好きですけど、仕事にしようと思ったことはない。無理ですよ、かなり難しい」と言う。政治家の仕事のほうが、よっぽど難しそうではあるが……。

 1年生議員は当初不安だらけで、議会の予算書は読めないし、何を主張したらいいのかも分からなかった。それでも経験を積んでいくと、いろんな興味がわいてきた。当初はスポーツ関連の業務が多くなると考えていたが、教育や街づくりにも関心が高まり、「多種多様な陳情があるたびに学ぶことも多くなる。議員の仕事って最後までその繰り返しだと思う」と、自らの使命をこう認識する。

 一期目に手掛けた教育関係の仕事にはやりがいを感じた。

 さいたま市の美園地区は近年、住宅開発などが進んだことで、他県などからの転入が急増し、人口が増え続けている。このため美園エリアには、学校教育法施行規則に定める学級数を超える過大規模校(マンモス校)が生まれ、教室不足などの問題が発生。住民から仮設校舎の設置を依頼された都築は、迅速に対応して乗り切った。

 この地区はその後も人口増がとどまらず、19年に小学校を新設。都築は「さいたま市は今後も人口増が予想されますが、美園エリアは特に子どもの数が増えていくと思います」と説明し、新たに開校しても課題が出てくるため、その改善や解決に向けて全力で取り組んでいる。

 二選目を目指した19年4月の市議選では、8708票を獲得してトップ当選。コロナ禍で昨年から新規事業に着手できず、イベント関連は軒並み中止となり、地元の方々と集まれる機会が激減し、活動にも制限がかかっている現状だが、常に市民の生活向上に思いを巡らせている。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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