「後悔は少しもしていない」 元日本代表GK都築龍太、闘い続けた日々と32歳での引退
仲間を怒鳴ったのは「多少なりともパフォーマンスの意識があった」
私が4番手にした理由を尋ねると、フィンケ監督は「仲間をしかる態度が厳しかったから」と答えた。
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02年6月に就任した犬飼基昭社長は、「浦和はミスをしても寛容な仲良しクラブだから、遠慮なく物申せる個性的な選手が必要だ」と述べ、03年に都築や山瀬功治、04年には田中マルクス闘莉王、三都主アレサンドロらを獲得し、岡野雅行をヴィッセル神戸から呼び戻している。
「人に厳しく言う以上、自分もミスはできない。仲間を怒鳴ったのは、自分にも厳しくしたかったこともあり、多少なりともパフォーマンスで怒鳴っていた意識はあります」
さいたま市議となって二期目の今は、短髪にスーツ姿がしっくり合うが、現役時の都築がピッチ上で醸し出す野武士のような雰囲気、風格、風情は唯一無二だった。「32歳の引退は少し早いけど、惜しまれてやめたほうがいいでしょ。ギシ(山岸)との関係? 引退してからは普通に喋っていますよ」と笑った。(文中敬称略)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。