世界に衝撃与えた「マイアミの奇跡」 ブラジル相手の得点は“偶然の産物”ではなかった
意外な形で破った均衡、ブラジルの目の色が変わった
やがてボール支配は、圧倒的にブラジルに傾いていく。1対1の局面ではどうしても分が悪く、ファウル覚悟で止めるシーンが目立つし、必然的に日本のゴール前の人口密度が高まる状況が増えた。それでも長い距離からでも悪魔のようなシュートを浴びせてくるロベルト・カルロスのFKは、立て続けに川口が落ち着いてキャッチ。フラビオ・コンセイソンが放ったシュートのこぼれにベベットが素早く反応して飛び出したシーンでも、川口が判断良く勇敢に飛び出して身を挺した。
前半を0-0で折り返すと、ブラジルの攻撃は一段と迫力を増した。どうしてもぎりぎりの対応でファウルが増える日本。ブラジルはペナルティーエリアのわずかに外からジュニーニョがゴールを脅かし、ボックス内に侵入したベベットは鈴木のファウルを懸命に主張するが、レフェリーはそのままCKを指示した。どうしても均衡を破れないブラジルは、ついに後半19分にサビオに代えて至宝ロナウド(2002年日韓ワールドカップ得点王)を送り込む。桁違いのスピードに極上のテクニックを持つストライカーが仕掛けることで、日本側の危機感は増した。
だがその8分後、意外な形で均衡が破れた。
左から路木がゴール前に走り込む城彰二の頭越しにボールを入れると、対応しようとしたセンターバック(CB)のアウダイールとGKジーダが交錯。ジーダは一回転して転倒してしまい、そこに走り込んだ伊東が難なく無人のゴールにボールをプッシュした。
後日、日本のスカウティングを担当した小野剛氏が自著で明らかにしているのだが、アウダイールとCBのコンビを組んだDFロナウドは相手が左から入れてくるボールへの対応が拙いので、この混乱は意図して演出しようと狙っていたのだという。つまり日本の先制ゴールは、必ずしも偶然の産物ではなかった。
さすがにブラジルも残り20分近くは、目の色を変えて反撃に出た。だがベベットの絶好のコースに飛んだFKは川口がセーブし、リバウドのヘッドもポストに救われた。終わってみればブラジルは29本のシュートを放ち、日本はわずかに3本だったが、世紀の大番狂わせが完結した。
しかし後から振り返れば、日本が属したグループDは「死の組」だった。日本は2戦目で金メダルを獲得したナイジェリアに0-2で敗れ、最後のハンガリー戦は3-2で勝利し勝ち点6を獲得しながらグループリーグで敗退してしまう。日本は紛れもなく世界を驚かせる奇跡を演じた。だが結局メダルを手にしたのは、同じグループのナイジェリア(金)とブラジル(銅)だった。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。