「レッズ花壇」への“情熱” 庭園管理士になった元Jリーガー、16年の時を経てつながった縁
【元プロサッカー選手の転身録】東海林彬(元浦和)後編:引退後に求人広告で見つけた東武動物公園に就職
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」は2002年に浦和レッズに在籍した東海林彬(38歳)だ。高卒で加入した浦和ではサテライトでの日々を過ごすも思うように活躍できず、わずか1年で契約満了。現役引退後は東武動物公園で勤務し、現在は庭園管理士として花に携わり、巨大な「レッズ花壇」を手掛けて話題を呼んだ。後編では引退後に就職した東武動物公園で働く日々、そして16年の歳月を経て再びつながった浦和との縁と「レッズ花壇」に懸ける姿を追った。(取材・文=河野正)
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2002年の1シーズン限りで浦和レッズとの契約が満了になった東海林彬だが、サッカー界に未練はなく、他クラブで続ける気力も意思もなかった。「生活の一部だったサッカーが仕事になり、その環境に気持ちがついていけなかった」と回顧。プロフットボーラーという職業は、よっぽど水が合わなかったようだ。
新たな就職先は求人広告で見つけた。埼玉県南埼玉郡宮代町にあるハイブリッド・レジャーランド、東武動物公園だ。実家のある北葛飾郡杉戸町に隣接し、子どもの頃によく利用した馴染み深い施設のうえ、動物好きということで飼育員になれれば、という気持ちで応募した。
東武動物公園は1981年に開園し、テレビCMにも出演した“カバ園長”こと故西山登志雄さんが初代園長となって人気を博した。動物園と遊園地を融合させた広大な施設で、3月にオープン40周年を迎えた。
2003年3月から勤務。配属先は希望した動物園ではなく遊園地で、乗り物のオペレーターを約4年、メンテナンスを3年ほど担当。26歳で現在の施設経営部に異動し、庭園管理士として花を育てる仕事に就いた。
開設35周年を控えた頃、動物園、遊園地、プールと並ぶ看板施設を造る構想が持ち上がった。それが総面積8150平方メートルの敷地に約410種、2万900本の植物が生息するハートフルガーデンで、16年5月28日にオープン。東海林もこの新規事業メンバーに名を連ねた。
ハートフルガーデンの呼び物は、200種以上のバラが咲き誇るローズガーデンと2000平方メートルを超える大花壇のキャンバスガーデンだ。
「年配のご夫婦をはじめ、花を目的に来園されるお客様がすごく増えました」
18年にはローズガーデンの拡張に伴ってバラの品種を増やすことになり、東海林は古巣のサッカークラブ名を冠した“レッズローズ”の導入を提案し、了承された。「ほかにはない特別なものですし、私が関わるには最適のバラだと感じました」と説明する。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。